わたしの産んだ、3人めのこどもは、のゆり、という。

21トリソミー、ダウン症を持つ三人目のこども、のゆりとの日々。きょうだいブログ『あおとわたし』(https://aoinotediary.hatenablog.jp/)も始めました。

のゆ、いなくなる

のゆが公園から見えなくなり、探し回っても見つからず、死にそうなきもちになったころに近くの駐在所から電話があるという奇跡のようなできごとがあった。その間にもまったく関係ない連絡がLINEには入ったりするのが、世界が何層にもなっているような不思議な感覚を引き起こす。眩暈がしそうになりながらそのLINEを見ている時だけこの恐ろしい時空から一瞬、違う平和なところに身を置けているような錯覚を覚えた。

 

駐在所にかけつけると、硬い顔でパイプ椅子にちん、と座ったのゆがいた。幼稚園の名札を胸につけていたのでわたしの携帯電話の番号がわかったのだった。いつもは幼稚園の子達で貸し切りのような公園が、おそらく近隣の小学校の学級閉鎖で、異常に混み合う日だった。幼稚園のママたちとこどもを見ながら話していたのに、ぐるぐるとストライダーで走り回る輪から、気づくとのゆがいなかった。ずいぶんもののわかったようなところもあり、そんなに大変なことはしないだろうという油断もあった。公園の中を見て、道をのぞいて、幼稚園に行ってみた。あおがやはり学級閉鎖で遊びにきていて、退屈して先に帰ったので、兄がいないことに気づいて家に追いかけたのだろうと思い自宅に電話した。家にいた夫もあおも出てきて、前日公園からスーパーに行ったというのでその道を辿ってもらうことにした。ママたちはそれぞれの自転車に子を乗せて探し回ってくれてわたしも一度帰ってのゆがいないことを確認すると自転車を出した。もう最悪だった。どんなことが起きても不思議ではなかった。迷子よりなにより、変な人に会ったら終わりだと、こういう時はいつも思う。絶望感がピークの時に電話がなった。駐在所だった。家の前を通ったのか、反対側から公園を出たのが定かではないが、とにかく公園からストライダーで出て、大通りもわたり住宅地を少しウロウロしてまた通りに出て車道を走っていたところを、通行人が見つけて、駐在所に連れてきてくださったのだった。

 

かりんもあおも、いなくなったことはあった。その度に2度とこんな思いはしたくないと思う。血の気が引くとしか言いようがない。さらにのゆはその状況を認識するかどうかも怪しいので助けを求めることもしないかもしれないし。今回のゆがどうかんじていたのかわからない。駐在所の方からは連絡先だけは身につけさせてというアドバイスだったので粛々と、学校の準備をしようと思う。