わたしの産んだ、3人めのこどもは、のゆり、という。

21トリソミー、ダウン症を持つ三人目のこども、のゆりとの日々。きょうだいブログ『あおとわたし』(https://aoinotediary.hatenablog.jp/)も始めました。

さいきんのこと。

きょうはのゆがいなくて、あおはわたしの布団で寝てもいいと許可を得て(いつもはのゆがいるので狭くて、みんなではなかなか寝られない)先に寝に行って、風邪気味だというかりんまで早く寝たので10時前にはわたしもゆっくりお風呂に入り、最近Wordで書き始めた日記を書き終えた。それでもまだ体力があるので、最近のことを少し書いておこうと思う。お伴はそろそろなくなりそうな熊の模様の箱のSleeping Time Teaと、ギリシャからわたしのブログを楽しみに読むねと言ってくれたまりちゃんが送ってくれたギリシャ料理の鮮やかな色彩の記憶。

 

先週一週間わたしは、のゆの学校でのおもらし問題に悩まされていた。2学期に入って順調だったのに、2週間ほどたつととつぜん、おもらしするようになった。1学期の最後も週に1~3回そういうことはあり、2学期になくなったのかと期待したので正直、がっかりしてしまう。長い夏休み、家では時々声をかける、加えて、出かける前、療育先についたとき、帰る前、遊んでいて、何か新しく始めるとき、お風呂の前、と、区切り区切りにトイレに行かせて、外で失敗することはほとんどなかった。長く声をかけないと、遊んでいるうちにもらしてしまうことがあったので、自分で尿意を感じてトイレに行き、全て済ませるという段階ではないものの、促してトイレに行けば問題ない、というのがわたしの認識だった。なのに、学校ではトイレに素直に行かなかったり、行ったのにそのあとでもらしたりするという。わたしは、一度学校に出向いて、中休みにはトイレに行くよ、と直接その場で話したい、と先生に伝えた。行くべき時を理解したら、わかってくれる。何でも理解している子だ、と思ったからこその判断だった。

 

写真を使ったスケジュール表を作り、月曜日の中休みに学校に行った。わたしが行って表を見せて話すとのゆはすんなりトイレに行った。これで次は昼休みかな。授業をしばらく見学して、わたしはコーラスの練習に行った。ところが、その日は結局給食の前に出てしまって、また着替えて帰ってきた。

 

スケジュール表のために教室の写真を撮ったので追加して作り直した表をもって、火曜の朝、また学校へ行った。スクールバスに乗せず、自転車でのゆを連れていくと、のゆは自転車を降りるなりうれしそうに、介助員の先生たちのところへ走っていった。学校も先生たちも、大好きなことはまちがいなかった。介助員さんや先生たちと話をして、新しいスケジュール表と、「トイレに行きます」と書いた意思表示の写真カードも渡してきた。そしてまたこっそり、授業を見学した。

 

月曜は算数、火曜は国語。授業をのぞいていてわたしは、のゆの頑張り具合にびっくりすることになった。1学期よりあきらかに授業に参加している。一人づつ前に出るような活動は前はできなかったのに、前に出て先生とキャッチボールをして(のゆはかごでボールを受け止めていたけど、それも自分でかごでやると選んだ)数を数えて足し算を(介助員さんと)したり、まわりにたくさん散らばったボールをマジックハンドで拾って数えたりしている。そのあとプリントが配られると、席に着くや否や前のめりに、書き始める。ものすごく、一生懸命だった。火曜、朝の会の様子も見ていると、ときどき真顔のままじーっと友達のほうをみていることがあった。先生が声をかけても耳に入らないように反応しない。と思ったらふざけてにやっとしたりするのでいつからかは聞こえているのだろうけど、わたしには、刺激でいっぱいの学校生活で、小さな水差しいっぱいに水が入って水面がゆらいでいるような、そんなようすに見えた。

 

国語では1年生が小さな輪になって(そこにもちゃんと参加していた)カタカナかるたをしていた。カタカナはまだ知らないはずなので、こういう時は見ているのかなと切ない気もちになっていたら、途中でひらがなかるたも入れてくれて、たまたま女子は1人なので「おんなのこ問題」といって、のゆにやらせてくれていた。はい!と声を出すことはできないけど、意気揚々と札をとっている。それはそれは、うれしそうに。ちゃんと活躍させてもらっているんだ、と切なさのあとなだけに涙ぐみそうになった。国語もプリントの時間になると、前のめりに字をなぞっていた。時々支援員さんが何か指さして話して、一緒に直している。すごいなあ、がんばっているんだなあ。いま、のゆは学校で一瞬も本当の意味でぼおっとすることなんかできないくらい、大忙しなんだなあと知る。トイレに行きたいという気持ちを感じ取ったり、そろそろトイレに行こうと言われて毎回従ってでかけるなんてできないくらい、教室の中には、彼女の気を引くものがたくさんたくさん、あるんだなあと。なのでなんだか、ごめん、とおもう。わたしはトイレだけのことを考えていたけれど、生活すべてを見て見たならば、トイレに行けない理由はトイレのスキルではないのだった。だから、なんだかこの頑張り方は違うのかもしれないと、わたしは思い始めた。

 

実は担任からは、トイレの失敗が多いのでおむつの併用を提案されて、わたしは内心反発をしていた。せっかくここまでできているのに、学校でおむつをしてもどってしまったらどうしよう。賢いからこそ、おむつが楽だ~ってなったらどうしよう。おおきくなってもそのままだったらどうしようと。それならいっそ、と、月曜日、担任に「先生は、どうしたら学校でトイレに行けるようになると思いますか」と尋ねてみたけど、先生の返事は「いつかはできると思いますけど…発達的にまだはやいのかも」というもので、発達的に足りていないという根拠は、わたしから見ると根拠とは言えないいつくかのこと(出席の返事をできない、活動に積極的に参加して選ぶことができない、など)だった。失敗することを過度に恐れるので人前で目立つことをしたがらないのだと、何度も伝えているのだけど、先生にはそういう態度は、「やりたがらない」「できない」と映るようだとは、薄々、感じていたことだった。「学校でおむつを使うことで、家でもできなくなったり、トイレが後退しないかと親としてはおもってしまうのですが」と尋ねてみて、「それはあるかもしれませんが…」と先生が答えたとき、この人の第一の関心は、この子がどうやったらトイレに行けるか、そして学校生活をより豊かにできるかではなく、学級運営なんだな、と感じた気がした。彼は学級運営のプロ(ながらくこの支援級を主任として支えてきた重鎮である)ではあるけど、療育の先生のような、支援のプロではないんだと。だから余計に、どうしたらいいか、悩ましかった。先生の言うことを聞いていればのゆにとってベストとは限らない。でも、このままトイトレを主張し続けるのも本人にとって、何か違う気もする。そんな気持ちで、療育サークルのMさんに相談のメールを出した。

 

結論から言うと、もう、一回学校ではトイレのプレッシャーや、もらしていやなおもいをすることから解放するために、パッドを使わせてあげて!と言う返事だった。もうね、今は学校でいっぱいいっぱい、トイレどころじゃないんだよ、と。ご自身のお子さんも、海外から帰国したときそうだったと。だからこそ、パッドをつけてあげて、本人の自尊心を保ちつつ、学業に専念させてあげて、そのうち、もうわたし大丈夫よって、自分で言ってくれるから!という。そのアドバイスは、わたしが授業を見て感じたのゆの様子にぴったり合致していたので、わたしは素直に、肩の荷を下ろすように、そうしよう、とうなずいた。数日後、療育先の所長のY先生に廊下で出会った際、相談したらほとんど同じことを言った。のゆが赤ちゃんの時からわたしとのゆを知っている人で、わたしの子育てに常にやる気と希望を与え続けてきた人だ。彼女は、「おむつでいいよ!」とわりきった。絶対、もらしたときのいやな経験はわかっているから。いちどゆるめてあげて。それでできなくなるなんて、絶対にないから!と。MさんとY先生が本当に同じことを言ってくれたことにわたしは自信を得て、方向転換をしようと心を決めた。

 

結局それからのゆりはおもらしし続けた。今まで以上に。完全に裏目に出ている。わたしが出て行ったことで、介助員さんも、一層一生懸命トイレ誘導をしてくれているのかもしれないと思うし、それは何らかの圧になって、のゆは余計にトイレに行きたくなくなったのかもしれない。先生がいう理由と一致はしてないけど、宿泊が終わったらおむつかパッドを使わせると金曜の連絡帳に書いておいた。学級運営のためではなく、のゆのために。急にお話が上手になり、言葉や勉強の理解がぐんぐんすすんでいるのゆ。今までよりパズルができるようになったり、学校に行く前に一人で50音のひらがななぞりをやったりするのゆ。彼女が今伸ばしているのは、そういうところなんだろう。アンバランスなところもあるけど、しかたない。成長は螺旋階段。どこかは止まっているようにみえながらも、ゆるやかに上昇しているのだ。だから、今はいいよ。思い切り学校の刺激をうけとめて、伸ばしたいところを伸ばして、いまは気が回らないことは、後回しにしよう。

 

初めてのこと、は脳に良いという。きっと宿泊で、また一回り研ぎ澄まされた成長したのゆに、会えるはず。