わたしの産んだ、3人めのこどもは、のゆり、という。

21トリソミー、ダウン症を持つ三人目のこども、のゆりとの日々。きょうだいブログ『あおとわたし』(https://aoinotediary.hatenablog.jp/)も始めました。

チャイムで乾杯

支援学校の体験に行った翌日。ぽつぽつと参加しているドラムサークルに来た。輪になって、ファシリテーターのタロウ先生と太鼓を叩くイベントで、時々参加で2年ほど経つけれど、自分の手で太鼓を叩くより、ぬいぐるみのハナちゃんで叩くとが多いのゆりだった。一人一人がカウベルでお手本のリズムを刻むというのも最初はなかなかやらなかったし、みんなの前に出て足や体でリズムを提示するなんて日直で前に出て予定表を読み上げるくらい、難しいみたい。今日も最初はハナちゃんだった。太鼓を叩くのも、カウベルを鳴らすのも。最初は固まって見学していたのだから参加するならなんでも良い。気にせずにいたら、気づくとのゆりが自分の手で太鼓を叩いていた。生き生きした笑顔で、体も椅子の上で飛び跳ねそう。トーンチャイムとハンドベルが配られた。ベル型のハンドベルとどちらがいい?と聞かれたら迷わずトーンチャイムをとる。昨年学校の音楽で、のゆりはベル、他の子がトーンチャイムをやっていたのを思い出す。

 

英語の文字は音の名前です、その下あたりをそっと握って、かんぱいするみたいに上に振って、とタロウ先生が言う。みんなの音が重なる。1時間あまりドンドコドコドコと太鼓の音ばかり聴いていた耳にチャイムの音の重なりが優しい。のゆりはまじめな顔で、キラキラした目で、うでを高らかに挙げている。音で乾杯するように、優しい音をポーンポーンと投げている。

 

迷うことなく参加できるときのこの顔を、まもりたいとおもう。それがいまの支援学級ではないのかもしれない。自信を持って参加できる場にいたら、こんな顔で毎日、過ごせるのかなあ。だとしたら、あらゆる面倒さを超えてもなお、転校させてみたい、と思うのだった。

おたんじょうびの手紙

長女の誕生日ケーキをうけとってかえらなくてはいけないので、そろそろ帰ろうとのゆりに声をかけた。「まだ!おてがみかく」と折り紙をとって体育館の床にへばりつくので、もう少し待つことにした。先輩母の企画する調理実習後の体育館遊びだった。ダウン症のあるこどもたち(といっても大部分はのゆりより年長の)ときょうだいだけの貸し切りの空間。最初はみんなダンス動画を見て踊っていて(ザ・中高生女子という感じ!)のゆりは隅っこで知らん顔しておえかきをしていた。まあ、年長のお姉さんたちとは遊べないだろうし早めに切り上げるか、とおもっていたわたしが、先に帰るともだちを見送りついでに長話してもどってくるとすみっこにのゆりがいない。「あれ?」と焦って見回すとのゆりはちゃっかり小さなラケットを握って、みんなの輪に入っていた。

 最初は数人づつ踊ったりしていたお姉さんたちも、何かで遊ぼうとなったのだろうけど、何をしてあそぶか決まるまでに時間がかかる。まとまるまでも時間がかかる。なんなら話がはやくつくので親を誘おうとする。親たちはそれはきっぱりと断って、友達どうして誘いあって遊ぶよう、話し合いを少しだけサポートしながら、気長につきあっている。そうこうしている時間が功を奏した。1時間以上その場にいて空間に体がなじむように、とけこむように、のゆりはお姉さんたちのそばにいた。結局話し合いがまとまる前に突然始まった宝探しゲームに参加して、走り回って笑いころげて、壁打ちテニスのボールを追いかけて遊び、きづいたらMちゃんと並んで床でおりがみをしていたのだった。

 

手紙を書くというのを待ちながらひとしきり親同士のおしゃべりをし(のゆりの転学相談の話、支援校の話、家で遊びながら数を教えるボードゲームについて)「のゆり、かえるよ~」と声をかけると満足した様子ですんなりとこちらにきた。自分が書いた手紙(象形文字のような文字がほとんど)と、ねえねにあげる、というくるくるに折ったおりがみと、「お母さんへ」としっかりした字で書いてあるマーブル模様の折り紙も持っていた。「これはMちゃんがお母さんに書いたものでしょう」とMちゃんのお母さんに渡すと「お母さんなんていつも言わないのに。お誕生日でもないし。べんきょうがんばってねって書いてあるけど・・・」と笑いながら目を落として「あれ?のゆりより、って書いてある」と渡してくれた。たしかに、「おたんじょうびおめでとう」「べんきょうがんばってね」「いつもありがとう」「なかよくしてね」と連なったメッセージのすきまに、はっきりと、濃い鉛筆の文字で「のゆりより」と書いてあるのだった。「これってMちゃんがのゆりに代わって書いてくれたのかな?」深く感動して私が言い、「お姉さんっていうのがわからなくてお母さんって書いたのかも」とMちゃん母が言った。頭をつきあわせて寝転んで床で字を書いていたけど、こんなやりとりが成立していたとは。のゆりの書きたいことを、Mちゃんが文字にしてくれたのだ。べんきょうがんばってね、ということばはいつも部屋にいる長女を「ねえねはべんきょう」と説明されているのゆりの言葉に違いないのだから。お姉さんたちとは遊べないし、なんておもっていたのはわたしのおもいこみだった。時間が必要だということも、わかっていなかった。のゆりが世界を広げる力、わたしはまだまだぜんぜん、わかってない。

 

代筆してもらった手紙をのゆりにわたすと、とうぜんのようにカバンにしまう。もうすっかり満足という雰囲気で、さっさと靴を履き、体育館を出て行った。

帰宅まで。

 駅から家までの路線バスに乗ると、のゆりはたいてい後ろの方の1人席にさっさと座る。ママはうしろ、とか、むこう、とか指示してくることもある。とにかく1人で座る。1人でバスに乗っている、ということを味わいたいらしい。降りるところに気づくのかな、と毎回わたしは様子を見てる。つい、ひとつ前の停留所で声をかけてしまうことが多いけど、あえて様子を見たりもする。降車ボタンを押すのか、ギリギリまで待つこともある。他の人が押してしまうこともあるし、のゆりが気づいて押すこともある。

 

 このバスは停車直前まで揺れるので、あまり早く立たないように教えている。張り切って支度して立ったりすると、停車の瞬間に勢いよく転がりそうなのだ。結果、割と直前にのゆりはパッと座席から降りて、荷物を持つことになる。座席の上にもうひとつバッグや、カーディガンや、帽子が残っているとき、どうするか見ていると、驚くべき素早さでそれらを回収し、時には口が空いたままのリュックを前に抱えて上にカーディガンを乗せて押さえて、器用にバスを降りていく。決して降り遅れることのないように、その背中は真剣だ。その素早さはなぜかいつもわたしに、小さな蟹を連想させる。忘れ物をせずちゃんと間に合って降りるので、いつも感心してしまう。のゆりが駅の階段やエスカレーターを1人で降りること、改札口を1人で出ること、バスをきちんと降りること。一つ一つをわたしは、ずいぶん確実に見届けている。今日も、のゆりと無事家に帰った。

見つめる。

酷暑の夏休み2日目。学校までラジオ体操に歩いて行った。時間ギリギリなので小走りになると校門の前に漫画みたいに気だるげに寄りかかる人影があり、「のーゆりさん」とこれまた漫画の不良少年が主人公に絡むみたいなテンポで声をかけてきた。のゆりとおなじ、支援級のマユミちゃんだった。「ラジオ体操ないよーだから走らなくていいよー」と言う。「えっ中止?」「そう。スタンプはもらえる」。気温が高すぎるとラジオ体操は中止になるがそれは行ってみないとわからない。「えー!」と言いながらとりあえずスタンプをもらう。マユミちゃんは迎えに来るおばあちゃんを待っているのだ。「暑いけど待ってるの?」と聞くと「うんー、おばあちゃんちだから、いき違うと困るし」と言う。「電話でもしようか?」と聞くと「ううんー、待ってる」と言う。そうかー日陰で待っててねーまたねー、と手を振った。

 

その日はカイロプラクティックに行ってから大好きな放課後デイにも行ったけど、夜、宿題の日記に何を書きたいかと聞くと、ラジオ体操とマユミちゃんだった。書けない字はお手本を見せて欲しいと言い出した。何年もの間、お手本を見て書く、と言うことができないのゆりだった。延々となぞり書きをして、完全に頭に入ると何も見ずに書く。そうして獲得してきた文字は本当に微々たるスピードで増えて来た。お手本を見て書くと、一気に書ける字が増える。のゆりの中で何が起きたのか、大きな成長を見つめながら一文字一文字、大きなひらがなの絵本を開いている。

魔法の庭

夢のような庭だった。芝生にぽつぽつとシロツメクサが咲き、築山には大きな土管の通ったトンネルがあった。大きな木の下には昔ながらのブランコと教室の小さな椅子がぽつんとひとつ、置かれていた。藤棚の下には砂場があって、赤いシャベルが取り残されていた。

 

「ここに植えられている木は」と、案内してくれている副校長先生が口を開いた。なんとなく、色々なところからいただいて植えましたとか言うのかなーとおもっていたら、「四季を感じられるように植えられています」と続いたのでびっくりした。ブランコの上の大きな木は桜で、それはもう、ほんとうにきれいに満開になります。その隣に枇杷の木があってことしはもう収穫しました、隣は梅の木、それから泰山木です、夏にかけて大きな白い花が咲きます。こちら側は秋に咲く金木犀、ネットがかかっているのはみかんの木でみかんがとれます。また梅の木があって今年はもう収穫しましたね。砂場の上は藤棚で横がぶどうです。実が青いうちはみんな砂場のままごとに使ったりします。」もしかしたら一つくらい記憶から抜けているかもしれない。その時わたしは庭を眺めるふりをしてこっそり、涙を拭いていたから。季節を目で見て肌で感じて知るために庭を作るということ。その愛の大きさにわたしは打たれていた。

 

季節の行事をのゆりが学ぶのはまさに繰り返しからでしかなく、それも年に一時期しかチャンスがないのでやっと馴染んだ頃にそのシーズンは終わってつぎは一年後、なので螺旋階段のようにしか記憶が積み重ならない。それでも確実に知識が増えていくことにわたしはいつも驚いていて、ある年のハロウィンにのゆりはオバケを知り、次の年にハロウィンという言葉を知り、今でもはハロウィンに仮装をして歩いたりお菓子をたくさんもらったりすることを理解している(そして、大好きだ)。ある年のクリスマスにクリスマスツリーを知り、次の年にサンタさんというものを覚え、いつからかプレゼントをもらうということを知っている。夏は川の冷たさ、夏休みという響き、冬にはお正月とか、雪遊び。これでもかと記憶を刻み込むためにわたしは手を尽くし、のゆりは季節を覚えていく。それがわたしののゆりへの教育だった。障害のあるこどもたちが、季節を知るために庭を作ってくれる学校。天国のような庭を眺めて、どうしても涙が溢れるのだった。

 

庭入り口には三輪車や自転車が無造作に放り出されている。のゆりが見たら絶対にやりたがるだろう。毎日遊んでいたら自転車だって乗れるかもしれない。今の暮らしに比べて何倍もゆったりした学校の生活を、幼稚園のようだと思ったり、これがのゆりの理解にぴったりな段階なのではないかと思ったり、揺れ動く気持ちで時間割表を眺めた。のゆりが疲れていると言われる6時間授業は、5年生になるまではないようだった。

 

ありとあらゆる場面でいわるゆ視覚支援といわれる、丁寧な理解のヒントが散りばめられた校内を見た。なくてもできるようになるし…とおもっていたけど、できているように見える(ようになる)ことと、自ら理解してできることは違うのかもしれないと、うすうす、わたしは思っていた。ある程度大きくなると、いちいち指示されるのは嫌になります。視覚支援があれば次に何をくるか自分で理解してひとりですることぎできます。もし固まっていたら、そっとその図を指し示すと、また動けます、と先生が解説してくれた。固まっていたら声をかけます、じゃないんだ。今受けている支援との根本的な違いを知り、通わせてもいないこの学校への感謝の思いが、少しづつわたしを満たして行った。

賢者の石、みたいなものたち。

困難にあたった時にわたしがいつもそうしているように、おもいつく限りの頼りになる人びとに連絡をとり、相談をしている。のゆりの今の生活と、来年以降の居場所について。あるいは先生に指摘されている、今彼女にあるなんらかの問題について。のゆりにいま、必要なものについて。

 

あかちゃんのときから通っている事業所の所長とも、幼稚園から小1まで通っていた校舎の先生とも、まだ契約していない事業所のひととも、転学相談の相談員とも、とにかくたくさんたくさん、話している。ひとの言葉の中にはその人が無造作に放り出してわたしには突然目の前に落っこちてきた啓示のような、地図の中の頼りになる目印みたいな言葉がたくさんある。わたしはそれをひろいあつめて、励まされたり浮き足だったりしながら家に帰る。そして学校から帰ってきたのゆりの顔をじっと眺める。歩いてくる姿を遠くからも見る。…大きくなっている!

 

今までと変わらない悩みがあるとしてもそのままの彼女でいていい年齢ではなくなってきている。困ったなあとわたしが感じながら、でもまだ無理なのかなと諦めていた消えないトゲトゲをまあるく抜いてくれ、彼女ができることをためらいなくやれるような、そんな場所をわたしは彼女のために、手に入れたい。夢のような話、とも言えないとおもう。

愛おしき日々

 学内遊び場の入り口にこどもがひしめいている。おとこのこたちの黒いランドセルが岩壁のように立ち塞がり、クリーム色の小さなランドセルを背負ったのゆりは入れずに中を覗いて立ち止まる。わたしが「一度荷物を置いてくるね」とランドセルを肩から外してあげると、羽が生えたように身軽になったのゆりはこどもたちの隙間をするすると縫って入り、そのときにはおとこのこたちは受付の記帳を終えて魔法のように消え去っていた。ここに、なまえをかいて、名字もね、と3年生の欄を指すと、その上にはえんぴつのなぐり書きで「まち」とだけ書かれており、先生が「ちょーっとまちくん!これじゃダメー!フルネームで書いて!」とさけぶ。目の前にいたおとこのこが振り返ると絵に描いたような不満顔で「なんでー!わかるじゃん!」と言い返した。その子の背中にあるのは惚れ惚れするようなきれいな茶色の、ランドセルに見えるランリュックで、わたしはまじまじとそれを見てしまう。

 

 支援級の子は先生を1人増やせる曜日にだけ利用できる、と言うルールがあった学内遊び場だったが、最近みんな全く問題なく遊ぶので、と、そのルールはほとんどないことにされていた。1年生のときは親が付き添いでお願いしたいと言われたのゆりも、面談の時に試しに待たせてもらったらとてもよく遊ぶので「もうひとりでいつ来てもいいよ」と言ってもらった、5月のことだった。

 

 当たり前のように遊び場に入っていって気ままに遊ぶのゆりを見る。室内はおなじ学校のこどもたちでごった返している。愛おしき日々だなあとおもう。ようするにわたしはこの日々を失いたくない。3年生になって縦割りクラスになり、一気にレベルがあがった支援級だった。支援校から来た担任の先生に支援校への転校を勧められたのは、わたしが小さな嵐と呼んだ大きな不機嫌の1週間の最後の日の面談で、タイミングが悪いような、早いような、それからのゆりの進路について考える日々がはじまった。この日々を失いたくない、それはわたし。でもまた同時に、昼間過ごす場所が支援校になったとしても、もし放課後ここに来ることができれば(それもまた、学区という制度に阻まれて色々なやりくりが必要になるが)それはそれで良いような気もして、支援校で得られるものがのゆりにとって生きやすく、過ごしやすくなるための何かだとしたらそれは新しい、希望に満ちた新生活になるのかもしれないともおもう。

 

 愛おしい日々はまだ、馴染みきった毛布みたいに見飽きた愛しさではなく、見るたびに新しい煌めきを見せる光景なので名残惜しくてたまらないのだけど、でもまだ見たことがないものが別の場所にはあるのも確かなので、まずはそれを見に行こうとおもっている。のゆりといっしょに。のゆりがその場所をどんなふうに受け止めるか、たしかめるために。