のゆの迷子事件(というべきなのか、さっぱりわからない。本人は迷子だと思っていないし、こちらからしたらもはや失踪レベルの事件である)はその後もう一度起きた。土曜日、療育の帰りに駅の近くのスーパーで買い物をしていて、歩きたいというのでベビーカーは荷物置き場にして、のゆは自分で歩いていた。スーパーは棚があって見通しが悪いしことのほか歩き回る(走り回る)ので放ちたくはないのだけど、もうすぐ小学生だし(それは3月のことだった)ずっとベビーカーに乗せていられるわけでもないので、ぼちぼちという気持ちもあった。知り合いから「もつ鍋のもと」というものをいただき、初めて家でやってみるつもりだった。肉売り場にもつがなく、冷凍庫に冷凍もつを見つけてあれこれみていたら、すぐそばの棚の間で声がしていたはずが、振り返るともう、のゆがいなかった。近くの棚の間をぜんぶみたけどいなかった。スーパーの端まで行ったけどいなかった。ちょうど巡回していたお巡りさんがいたので事情を話して館内アナウンスをしてもらう。そこは一階建ててわりと店員の多いお店なので、アナウンスした時点で見つからなかった時にはこれはやばい、と血の気が引く。ここは駅側と反対側に加えてさらに左右に小さな出入り口がある。トイレも一か所あるので確認したけどいなかった。わたしは駅前の交番に連れていかれて、もうひとりの若いお巡りさんに同じ事情を話した。家に戻っていくかもしれないから家に家族がいるなら電話してといわれて電話したけど、そこまで歩いて行けるとも思えない。お母さんは交番にいてと言われたがそんなわけにはいかない、どんな隙間に入り込んでいるかわからないし、のゆの発想はお巡りさんよりはわたしのほうがわかるだろうし、探さずにはいられない。とはいえもうおそらくスーパーにはいない。本当に絶望的な気持ちで、10分くらいは経っただろうか。「お母さん、110番してください」と言われる。110番することで近くの警察に情報が共有されて捜索してもらえるのだそうだ。お巡りさんから要請するのではないところが不思議だけど何かそのほうが早いシステムなのだろう。若いお巡りさんとしてはわたしに交番にいてほしかったようだがわたしが頼むのでもう一度スーパーの男子トイレを見てくれて、わたしは110番しながらまた店内を探して歩いた。お巡りさんはあとからついてきた。震える声で110番の人と通話しながら、駅と反対側の出口を出た。出口の先は2つのちょっとしたスロープで、目の前は大きな立体駐輪場、何本かに分かれた道路と小道がある。店から出て家のほうに向かう道を見通そうとしたとき、まるで待ち合わせしていたみたいにのゆが、わきの小道から走ってきた。その時の光景は一生忘れない。わたしがさんざんお巡りさんに伝えていた「赤の上着」は着ていなくて、紺色のワンピース一枚で、マラソンでもするように腕を振ったいい姿勢で、勢いよく走ってきたのゆは、さすがに少し顔を引きつらせていたように見えた。とっさに抱き留めて、すぐに着衣を確認する。特に変わった様子はない。「いました!!」となったので、110番の人は電話を切りますね、と確認してくれて、電話が切れた。すぐに交番やスーパーに連絡して、一応、どこのひとも「よかった、よかった」となり(それしか言うことはない、ほんとうに)、一件落着ということになったのだった(交番的には)。
とはいえわたしとしては謎しかない。上着はどこ?というとわからないというし、どこにいたのかも謎すぎる。今までこんなことはなかった、公園の時はおそらくあおを探しに行ったという動機もあった。きょうはなぜ、どこに行ったのか、なにもかも、初めてのことだった。未精算だった買い物の清算をして、どこに行っていたの、と落ち着いて聞くと、まさかと思っていた、出たことのない小さな出口から外に出たと、案内をする。出たところには小さな店と、数台自転車が止まる場所と、左手に、古い外階段のマンションがあった。ここをのぼった、というのゆ。なるほど、のゆは階段が大好きだ。なんとも魅力的な建物だった。あとをついていくと上のほうに踊り場のような屋上のようなものがあり、そこで階段は終わっていた。植木鉢がいくつか放置されていた。建物は静かで人の気配はない。ここまできたの?というと、うん、という。誰かに会った?というと、ううん、という。それは幸いだったと思う。そうして、下まで降りると町のほうに小道をたどり、商店街になっているバス通りに出て、スーパーと平行にすすみ、最後にわたしと会った出口があるほうの小道を戻ってきたのではないかと思う道案内だった。でも、どこにも上着は落ちていなかった。別の道にも足を延ばしたけど見つからないので、もう一度交番に寄って改めてお礼を言い、上着の紛失届を出して帰った。もう二度と、ぜったいに、のゆから目を離すまいと思いながら。無事だったことにひたすら感謝しながら。
上着は後日警察署から電話があり、もう少し商店街を進んだあたりのマッサージ店の前にあったと届け出があったとのことだった。わたしがおもったより、たくさん商店街を突き進んだのかもしれない。だとしたらどうしてあの出口のところに戻ってこれたのか、ひきかえす、という発想がどこで起きたのか。不思議だけれど。これが、のゆ失踪第二弾だった。
さらに後日、行き慣れた口腔リハビリで摂食指導を終えた後、わたしと先生が話しているとのゆが先に部屋を出て行った。受付前のプレイスペースにいるか、受付には人がいるから外にはいかないだろうとのんきにしていたら、見事にいなくなっていた。わたしが行くと間の悪いことに受付の人は中で何か話し込んでおり、見ている人がいなかったのでこれはまずい、と、わたしは目の前の駅へ走り、駅員さんに、小さい子だけで改札を通るようなことはなかったかと聞いた。気づいてはいないけどずっと見てるとは限らないといわれる。そうですよね、と言いつつ、可能性は低いかと思い、外へでる。なんと、線路沿いの遊歩道を猛ダッシュで遠ざかっていくのゆが見えた。のゆ!と呼ぶと、満面の笑顔で振り返る。走る楽しさだけにあふれている顔だった。何の悪気も、ないのだった。スーパーを出て階段を見たら階段を上りたい!でいっぱいになったように、今はその走りやすい遊歩道を全力で走りたくて走っているのだった。
こうしたことがあるたびに何回も話したしきつく言いもしたし、迷子ということばは少しわかったような気がしたけど、何かにとらわれたらそれでいっぱいになってしまうという認知のあり様だけは、そうそう変わりそうもない。今までどこへいっても、その場からいなくなるとか脱走するというようなことはないと思っていたし、就学相談でもそう伝えてきたのに3月になってこれだから、学校でこの騒ぎが繰り返されたらきっと地域の公立では手に負えないと言われるかもと、目の前が真っ暗になる。一方で、幼稚園からいなくなったことはないし、わたしと出かけているときだけの冒険心である気もし、学校学校と言っているのゆは、学校というフレームに思いきりはまって楽しむのではないかというのがわたしの予想だったので、それを信じたい気持ちと、わたしの予想はあくまでも今までののゆの姿に基づいたものだという冷静な突っ込みで、こればかりは、考えてもわからないのだった。「わたし、がっこういく。ひとりでいく」が口癖だったこの一年ののゆ。「ひとりでいくから。ママ、こないで。」と毎日いうのゆ。幼稚園に行く道も、少し離れて一人で歩きたがるようになったのゆ。ひとりでできる、の気持ちが、何かの衝動と組み合わさると、失踪事件になるんだなあと、自立心の成長と危険の増大にただただ、無事を祈るしかないのだった。結局、かりんの時から使っているGPSをのゆの分も買った。エアタグも買ってみたけどとりあえずGPSをつけていれば事足りるので、休日出かけるときは服にそれをつけられるように、おっとが百均で、動物の形のポーチやら安全ピンやら買ってきたのを、服に着けている。少し重いが仕方ない。初日にポーチを開けて部屋のなかでぽい、とされて探し回って絶望的な気分になったけど、それ以降は一応、だましだまし、つけている。本人にGPSうめこみたいよね、というのはダウン症児を育てるママ友みんな言うことだ。あおはほんとにGPS必須だが、あおはまだ、迷子になればそのことを自覚するから、泣いていたり、助けを求めたりもできる。のゆは、おそらくなかなか自覚しないので本当に困る。嬉しそうにひとりで走っている幼児を、「迷子だ!」ととらえて保護するのは通行人にもむずかしい。そんなわけで、まだまだ気を抜けないのである。GPSを持っているのに、GPSはリュックについてて、本人はリュックを置いてどこかにいきました、では余計に後悔すると思うので、めんどくさくても服につけなおしている。そして今は5月。学校というものを全力であじわっているのゆは、おそらく学校からいなくなることはなさそうなので、GPSはランドセルについていて、スクールバスが学校を出たことを知らせてくれる。もう二度と、いなくならないで。ほんとうに、それしかない。生きていることは奇跡なのだった。一歩間違えば…を、無自覚に、姉よりも、まさかの兄よりも、多くくぐりぬけている、のゆである。