わたしの産んだ、3人めのこどもは、のゆり、という。

21トリソミー、ダウン症を持つ三人目のこども、のゆりとの日々。きょうだいブログ『あおとわたし』(https://aoinotediary.hatenablog.jp/)も始めました。

踊るのゆり

 2歳ごろだったと思う、療育先のクリスマス会でみんなで「パプリカ」を踊ることになった。といっても舞台ではなく、広いフロアに出てみんなで踊るというものだ。家では録画したパプリカの動画を何回もかけてまいにち踊った。あおがいっしょに踊ってくれて、パプリカをかければ機嫌が直るほどのゆも気に入っていた。当日は、緊張したのかほとんど踊らなかった。でもすごく固まってる、というわけではなくて、なんとなく所在投げにしているうちに終わったのだった。

 その時はまだ踊っていた、というのがわたしの感覚だ。そのあとのゆは、ひとがいるところでは絶対に踊らないし体操もしない時期にはいった。療育先のはじまりの会で名前を(いわゆる出席をとるかたちで)呼ばれても、返事をして手を挙げるということを絶対にしなくなった。人に見られていること、注目されること、その状態でなにかをすることは全部拒否。人に見られている、というつよい意識、そしておそらく、間違いたくない、という強すぎる思い。リトミックに行っても音楽療法に行っても、決してなにもしなかった。踊ることはおろか、準備体操も、みんなで輪になって歩くことも、名前を呼ばれて返事代わりにタンバリンをたたきに行くことも。なので、いつもわたしが抱っこして音楽に合わせて踊ったりゆらしたり、あるいたりしていた。だんだんそれも大変になり、音楽療法のクラスは途中で断念した。その状態はほとんど4年間続いた。

 そんなのゆにこの夏、大きな変化があった。地元のお寺の盆踊りでのこと。まったく期待していなかったのに、とつぜんのゆが踊り始めたのだ。しかも、同じくらいの背丈の(おそらく1,2歳年下の)知らない女の子たちの集団に交じって、まるでその一員かのように。まわりの振りをみて、真似をしながら、何周も何周も。「東京音頭」をおどる女の子たちの兵児帯の、どれがだれのだかわからいような、ひしめきあうひらひら。夢のようでわたしはのゆが「もういい」と言うまで、一緒に踊った。これは快挙だった。まあ盆踊りはみんな前を向いて輪になっているし、ひとのことは見ていないので気楽なのかもしれない、とも思ったが、他人がいる中で踊ったことには変わりない。もしかして今年の運動会は…という期待も、胸をよぎった。1学期の間にのゆは、集団療育にきちんと参加できるようになり、順番にみんなの前で先生の所に課題を取りに行く、というようなこともできるようになり、自己紹介はできなくても前に立つことはできるようにもなり、「おうまの親子」にあわせて四つ這いでぐるぐるまわる、というアクティビティには参加するようになったものの(それですら大進歩)、そこでの体操やダンスはまだしなかった。家では完璧に踊るものも、外では決してやらなかった。それでも、そのころ療育先のグループでは、毎年幼稚園の運動会でも踊る「はとぽっぽ体操」を踊っていたので、家でも何度も曲をかけて踊っていた程度に、わたしは、今年で最後の運動会にひそかに思い入れを持っていたのだ。盆踊り後、リトミックで準備体操ができた、とか、親の会の活動で参加したフラダンスで少し踊ることができた、とか、わたしにとっての「おどるのゆ快進撃」は続いていた。夏休みが明けて運動会の練習が始まると、練習では踊っている様子はなかった。ダンスの間はふらふらしてるかな、というのが先生のコメントだった。

 そして運動会。のゆは踊った。音楽が始まって最初の数秒、座り込んで手首につけた飾りも外してしまったが、よく覚えている振付になってふと体が動き、そして隣の子を見てハッとしたように、手首の飾りをつけなおし、取れてしまった帽子をかぶりなおそうと手を動かしながら、踊り始めた。それはほんとうに目を疑うような、でも疑っていたことが嘘のように思えるほど自然でもある光景だった。それでいて、最初から完璧に踊りとおした以上に、わたしは感動した。隣の子を見て、今何をすべきかを理解し、それをしたいとおもって、することができたから。その心の動きがてにとるようにわかり、そこに、いつもなら邪魔になる「人が見ている」という意識が入り込まず、邪魔されず、やりたいことを、できたのがわかったから。今までのゆを邪魔していた分厚い壁が、ふと消えていった瞬間を見たような気がした。みんなの前だけどがんばった、ではなく、みんなの前という、いつも彼女をがんじがらめにしていた壁を忘れることができたように見えた。

 こうなったらほかの場面でも変化が?と期待すると、療育先ではやはりダンスも体操もしなかった。でも家でフラダンスの練習をするようなり、月末にちょっとした発表の機会があるけどもしかしたら踊ってくれるのではないかと期できるようにもなってきた。そして先日、お芋ほりの遠足のお迎えに行くと、早く支度を終えた子どもたちが、畑の隅で、先生が流す音楽に合わせて、体操や手遊びやダンスをしていた。そして、のゆも、踊っていた。のびのびと、たのしそうに、まるでいままでみんなと一緒に動いたことがないなんてことが嘘であるかのように。ああ、じゆうになったんだな。とわたしはおもった。見られていることに意識がむいてがちがちだったとき、間違いたくないという意識でがんじがらめだったとき、のゆはとても不自由そうだった。分厚い壁がそこにはあって、のゆはその隙間からみんなのことを見て、家で完璧に再現しては、幼稚園ごっこをしたり、踊ったりしていた。おなじようにしたいのに。やってみて、できるようなったり、しっぱいしたり、やり直したりしながら、学んでいけるのに。そうして学ぶことから、彼女は阻害されていた。

 いまやっと、のゆは、そこから自由になって、みんなのなかで学べる状態になったようにおもう。その変化が学校という場に出向く前に起きたことが、本当にうれしい。

学んでほしい内容を教えることだけが教えることではない。学べる状態にすることがわたしにできる最大のサポートで、それが療育というものなのかなあ、と、いまは思っている。