わたしの産んだ、3人めのこどもは、のゆり、という。

21トリソミー、ダウン症を持つ三人目のこども、のゆりとの日々。きょうだいブログ『あおとわたし』(https://aoinotediary.hatenablog.jp/)も始めました。

本を読んで暮らす

海のそばの町から町へ、引っ越したはじーの家は、むかしわたしたちが数人で毎週末のように過ごしていた西荻窪のへやの空気を纏いながらイマにアップデートされていて、私はたくさんの今すぐ読みたい本や、必ず見ようと思うアニメや、これから気にしてみようと思う人の名前なんかでいっぱいになりながら、心が凪いで凪いで、夕方に見た湖のような海そのものになった。それはことばにしたら、「しばらくこどもを育てながら、本を読んで暮らそう」と言う気持ち、そのままだった。そんなはずでは。わたしはきっともっと、わたしが昔やっていたこととか、考えていたこととか、書いていたものとか全部知ってる友と話して、これからわたしは何をしたらいいとおもう?という話をするつもりでいたのに笑、そんなことはいまはどうでもよいというか、そのうち決まることだというか、とにかく空っぽになって、作ってもらったエスニックなトマトパスタを食べたり、はじめて買ったら美味しかった梨のお酒を飲んだり、本をパラパラめくったりして、深夜に家に帰れるギリギリより少し前の江ノ電になって、借りた本を読みながら帰った。

その気持ちは翌日になっても消えないどころか言葉になってはっきりとし、のゆを療育に連れていく電車のホームでふいにわたしは、自分がとても楽しくのびのびとした気持ちでいることに気がついた。こんなことは何年ぶりだろう。

もう何年も、少なくともこの一年は訪れたことがない、いや、こんなふうに思えたことはかつて一度もないという気持ちだった。いつも、何かしていないと行けないと思っていて、何かしていると思いたがっていた。細々続けていた仕事を、のゆが生まれた時に手放し、療育の世界にのめり込んだ。次の仕事になるのかもしれないとも、ぼんやり思ったりもした。でもそうはならなそうだ。6年経ち、のゆは学校に行く年齢になった。普通級に入れようとすると親が付き添うこともあると聞いていた。断固拒否して戦う人も上手くやる人もいるというけど、自分が結局はかなりの時間を学校に割く選択をする、という可能性もあると、そうはしないほうがいいと思いつつも惹きつけられるようにその道に行ってしまうかもしれないとも、思っていた。それならいっそあおが通っている学校なら付き添いしてでも、通わせたいかもしれない、付き添いも苦痛ではないかもしれないと思ったこともあった。でもいざその年になってみて、それらはないし、なしだなと思った、自然に。本人にもわたしにも家族にもそれらの選択肢はあまり自然ではなかったので、熱望するに至らなかった。のゆは支援級にいく。最初はともかく、ずっとわたしが付き添うということはないだろう。今後もかなりのフォローは必要だけど、ここでわたしは自分の人生を取り戻すことになると、だからどうするのかを決めなくてはと思い始めて焦りながら失った年月を数えそうになっていたのだった。療育を学びながら得たものを活かしたい気持ちもあるけど、昔手をつけていた仕事をそのままにしていると言う気持ちでずっと生てきたのでそれはそれで気になり、このままこどもたちのフォローをしていてもそれなりに忙しく、自由にするお金のために働けばそらはそれで一生懸命になれるけどまた何かをそのままにしている気持ちに取り憑かれるのかと恐れたりもする、そんな日々だった。それではいったい自分はなんのためにあんなに大学にいったのかとかなんのための人生か、などとも思考は転がり始める、それが今、そんな思いが勝手に転がりだすこともなく、もしかして、わたしがよいならよいのかな、何をしていても、と、当たり前のようなことに気づくに至った気がしている。そんなふうに思えたのは初めてなので、しばらくはこのまま、「本を読んでくらそう」と思っていたい。海を見たり、もはいったら、最高なんだけど。