わたしの産んだ、3人めのこどもは、のゆり、という。

21トリソミー、ダウン症を持つ三人目のこども、のゆりとの日々。きょうだいブログ『あおとわたし』(https://aoinotediary.hatenablog.jp/)も始めました。

わたしのむすめ。

最近、いろんなツールを使ってのゆへの療育や彼女の変化を記録しまくっていた。もともと記録魔なので、あおもかりんも小さい時の育児日記はそこそこある。のゆには、小さな成長という言葉も大袈裟なほどのスモールステップがたくさんたくさんあるので、しぜんと記録も細かなる。さもなければどんどん、忘れてしまうくらい細かい変化にわたしは目を光らせている、つもりはないのに、やはりそうみたいで、あらゆることを記録している。でも最近、なんだか、のゆの全体が見えなくなった。虫の目でスモールステップを追えば追うほど、彼女の全体像がわからない。食事をすればスプーンの持ち方、食べられる食材、食べるスピードと咀嚼に目を光らせる。お風呂はストローやゼリーや窓ガラス用クレヨンやいろんなツールで手先を使う療育の場。公園は必要なトレーニングをつめる運動場。家で遊ぶのも粘土、お絵かきは素敵な活動。時間があれば一緒にパズルや知育玩具に取り組む。歌を歌うのも、絵本を読むのも、やればやるほど彼女にいいとわかっているから。ズボンを履くのがどんなに遅くても待つことができる。セーターを自分でかぶりたいとわかれば最小限のサポートで見守ることができる。すべては、その一回、一回が、練習であり、経験だからだ。なのに。歌が好きで、嫌なことも歌をうたわれるところっとだまされてしまうくらいののゆり。好きなCDがかかると走ってきて踊り出すのゆり。名前を呼ばれると、ハイッとキリッとした返事をするのゆり。ズボンを選り好みしたり、可愛いワンピースを着せたら鏡の前に走っていくのゆり。そんな姿、療育先では片鱗も見せずにじっと硬い表情でいたり、柔らかくとも冷めた無表情でじっと、歌う先生を見つめたりするのゆりを見過ぎて、わたしは先生たちに見えてるのゆりがこの先ずっと社会で評価されたり受け入れられたりするのゆりなのかと、絶望しているのかも、しれない。どんなに活発でどんなに楽しげか、家の中で!または、慣れ親しんだ児童発達支援の空間で!それはどんなふうに外に出てくるんだろう、いつ、いつでもわたしが知ってるかわいい愛嬌のあるのゆりがそのまま現れるようになるのだろう。いつ、「家では〜です」と伝えないと、先生にのゆりのことをわかってもらえないからちょくちょく口を挟むということをしなくて良くなるのだろう。

 

わたしには、見えてないわけじゃない。のゆの全体像。のゆの姿。よーく見ている。でもたぶん、外で外の人から見えるのゆの姿をたくさん一緒に受け止めているから、なんだかどちらかが夢のように、思うのかも。のゆのこと、細かく変化を記すような見方ではなく、ほおっとかわいい生き物を見るように、見てみたい。ただかわいいかわいい姿を見ていたい。小さくて、おしゃまで、音楽と歌が大好きで、兄姉が大好きで、ナーバスで慎重で疑り深くて、世話好きで、自立したむすめ。それがのゆり。わたしのむすめ。