わたしの産んだ、3人めのこどもは、のゆり、という。

21トリソミー、ダウン症を持つ三人目のこども、のゆりとの日々。きょうだいブログ『あおとわたし』(https://aoinotediary.hatenablog.jp/)も始めました。

のゆのストライキ

うちから行ける範囲に預かり型の療育ができた。車がなくても行ける、駅から徒歩5分の立地に惹かれてすぐに見に行った。できたばかりであかるく、ひろく、医療ケアのある子や重度の心身障害の子を預かることを主にオープンしたという。日によって大きなベッドがでていたり、腰掛けられるハンモックが吊るされたりしている。必要な子はお風呂に入れてもらうこともできるし、送迎もしてくれるのだそうだ。すばらしいことだとおもう。

 

のゆは、医療ケアがないので対象かどうか曖昧なとこだと言われて、あまり期待せずに見学に行ったら、まだそんなに活発じゃないし、ゆくゆく療育園や幼稚園に行くまでの練習として通ってみたらと言ってもらえて、すぐに決めた。週三回までならいつでも来ていいと言われて耳を疑った。療育という療育、病院という病院はみな予約がとれなくて、混んでいて、大変なものだと思っていたから。週一回でも十分なつもりだったけど、それを聞いて二回にした。そして、のゆの預かり保育が始まった。

 

初日はわたしが一日付き添って、のゆの遊び方、ハイハイや移動の仕方、注意点、水分の摂り方、ご飯の食べ方なんかを伝え、PTのひとと話すこともできた。お昼の後はお昼寝タイムだけどなかなか寝なくて、ベビーラックに寝かされてはバタバタし、マットに添い寝したらニコニコして起き上がり、ハンモックに抱っこで座ればはしゃいで立つので、結局、ベビーカーで揺らすのを先生に交代してもらい、わたしはおひるを食べにでた。帰ってくるとのゆは寝ていて、別室で書類を書いていると泣き声が聞こえた。わたしを見ると余計に泣いて、いなくなったことを責め立てるのだった。

 

2日目は1人で預けた。ベビーカーで寝ながら到着し、マットに寝かせても一度目を開けてまた寝たのでそのままお願いした。外に出たら、びっくりするくらい身軽で、顔がにやにやした。のゆがいることなんて、たいした負担じゃないって思っていた、午前中はたいてい療育やら、なにやらで出かけるし、予定がない日は、昼寝させながらカフェで本を読むこともできるし、起きたら買い物しながらまた寝かせて家に帰って、そんな午前中の過ごし方も慣れてきていた。でも1人になったら、肩甲骨が羽になったみたいだった。

 

浮かれた気分で最寄駅に戻り、浮かれたついでにモンベルに入り、父の日のプレゼントに、あおと夫にお揃いでラッシュガードと、Tシャツを買った。いつも断っていた会員にもなって荷物は送ってもらった。おにぎりを買って、あおのお迎えに行った。これから体操教室に送り、その間に、のゆの迎えに行くてはずだった。

 

その時電話がかかってきた。のゆがあのまま寝てばかりいて、元気がなく、泣いたり怒ったりもしないしご飯も食べないし、ダノンを見せても反応しない、熱も少しあるようだという、預かりの看護師さんからの電話だった。あおを体操に早めに連れて行き、そのまますぐに迎えに行った。

 

わたしが到着すると、のゆはものすごーく不機嫌な顔でご飯を食べていた。わたしに気づくと泣く前の顔になり、でも泣かずにもう少し食べた。前にはダノンの空の容器が置いてあった。グズグズとしながらご飯を食べて、床に降りてもゴロゴロと膝にまとわりつくだけであまり遊ばない。具合が悪いのではないかと、スタッフがみな代わる代わる心配して見に来ていた。いよいよわたしが抱き上げ、抱っこ紐に入れると、のゆはニッカ、としたらしい。部屋を出る時は、きゃっきゃと声を上げていた、これは病気ではなく、ストライキかな、とわたしはおもった。

 

のゆの幼なじみのIちゃんの母であるakiちゃんに、ラインでひとしきり報告をしたら、ウケるwwwという返事が来た。笑いすぎて泣いている顔文字だった。わたしもおかしくなった。おもしろいよね。のゆのストライキ。全身全霊で、拒否したのかなあ。頭いいね、とakiちゃんはいった。一番体力を使わず、的確に、のゆはわたしを呼び出した。とてものゆらしい反抗だとわたしはおもう。