わたしの産んだ、3人めのこどもは、のゆり、という。

21トリソミー、ダウン症を持つ三人目のこども、のゆりとの日々。きょうだいブログ『あおとわたし』(https://aoinotediary.hatenablog.jp/)も始めました。

ここにいるよ。

のゆが夜、1時間に6回も吐いて、夜中に救急に行き、2時まで点滴を受けて帰った翌日の昼、わたしは昼食を用意しながら録画していた番組を何か見ようと思ってテレビをつけた。まだ見ていなかったETV特集の「シリーズ出生前検査①」があったのでそれを見ることにして、ちょうど洗いあがった洗濯物を干したりしながら見た。出生前検査の認定病院では、検査の前に一時間かけて検査の説明があり、検査前後にカウンセリングもあるという紹介をしていた。それでも、認定病院では検査を受けることができなかったりで認定のないクリニックで検査をする人は増え続け、そういうクリニックの説明体制は何組もまとめて10分だったり、カウンセリングがなかったり、課題も残るという話だった。

 

その時映像で紹介されていたのは認定病院で、医師が検査を検討する男女の前に座って、まさに説明か、カウンセリングをするというシーンだったと思う。「100人赤ちゃんが生まれればその7-8%(だったかな)は、なんらかの体質を持っていると言われています」という説明があり、「体質」というんだな、なるほど、と思ってわたしは聞いていた。

 

この検査でわかる疾患や障害はほんの一部であること。もし、疾患や障害があった場合どのようなサポートが受けられて、どんな生活をするのか…というようなこと、なんかを話すとナレーションでは説明されていた。

「保育園や幼稚園は普通に通われていて、だんだん小学校くらいになると、発達がゆっくりだということがあるので、支援級や、支援学校に行かれているという方もいますよ」というような説明が聞こえた。その時、男女と医師の間の白いテーブルの上には、ダウン症協会が作った、子どもたちの顔が並んだパンフレットが置いてあった。わたしも見たことのある、笑顔の子どもたちの顔がたくさん印刷されたパンフレットだ。まんなかには、「ここにいるよ」と書いてあるのだった。

 

ここにいるよ。

 

その言葉を見たまんまの目線でわたしは台所の床でてろーんと寝そべっているのゆりを見つけて、抱き上げた。まだちょっと元気が無くてふにゃりとした、でもずっしりと重い、のゆりのからだだった。なんの意識もなく口をついてでた言葉は、「こーんなにかわいいのにねえ、のゆは」というひとり言だった。わたしはなにを言おうとしたのだろう。

 

ダウン症のあるこどもがこんなにかわいいのに、検査をして陽性だったとして中絶する必要があるか?と言いたかったのだろうか。ダウン症の子が生まれると言われて絶望する人の気持ちがわかるけど、そのいっときを乗り越えたらこんなに楽しくて問題ない日々が待ってるのに、と伝えたかったのだろうか?ただ、この子も、ここにいるよ、と言いたかったのだろうか。でもだとしたら、「のに」って、なんだろう、やっぱり、検査の概要と障害のパーセンテージを表す円グラフでは、ここにいるこの子のことが伝わらないと思ったのかもしれない、というか、伝わるわけがないのだった。かと言って、その人たちの前に私が行ってのゆりの写真を見せても動画を見せても、それが伝わるとも、思えないのだけど。

 

でも、ここにいるよ、はとてもいいメッセージだと思う。産後にダウン症の可能性ありという告知を受けてから、何日も病院で過ごす間にわかったことは、のゆはただのゆであるということだった。そして、病気でも障害でも、自分がそうであるように、もしなったらそのように対処して生きるだけのことなのだということだった。昨夜、家と車と病院にいる間と、合わせて10回くらい吐き気をもよおし、脱水を防ぐために点滴をされてそのまま大人しく眠り、いまは椅子に座って、さあ何か食事をさせて、とわたしをみあげている小さなこの子、それは、のゆりという子で、わたしの子で、すごい存在感で、ここに、います。