わたしの産んだ、3人めのこどもは、のゆり、という。

21トリソミー、ダウン症を持つ三人目のこども、のゆりとの日々。きょうだいブログ『あおとわたし』(https://aoinotediary.hatenablog.jp/)も始めました。

川を渡るために

なんにちかまえ、地域の発達相談センターみたいなところで開催された、先輩お母さんの話を聞く会、というのに行ってきた。なんの先輩かというと、こどもの発達に不安やなんらかの特性があり(ここでは発達に不安のあるお子さん、と表現される。障害とか遅れとかは言わない)、いわゆる幼稚園保育園(だけ)ではなく、児童発達支援と指定されている機関に通園させている先輩たちだ。市内にはそういう通園タイプの事業所が3つある。それぞれに通わせている3人のお母さんたちが話をしてくれた。

 

どこの自治体でもそうだろうけど、お話してくれるひとたちのこどもたちは、いまもっとも多いとされるいわゆる「グレーゾーン」の子たちだと言うことで、のゆとはだいぶニーズがちがう。それでもそれぞれの園のことがよくわかり、満足してきいていたら、最後にフロアからこんな質問があった。

 

「自分は息子を療育施設に連れて行きたいとおもっているけど、家族が、そんなの必要ないんじゃない?ふつうだよ?と言ってわかってくれない。どうやって家族の理解を得たのでしょうか。」これは、そこから始まった、3人のおはなし。

 

周りのママ友に、えー、どうしてそんなところに連れてくのー?かわいそう〜!と言われた。

ふつうだよー!元気でいいじゃない!と言われた。(こどもが公園で暴れたり、友達を叩いたり大声をあげたりして困っていたお母さん。)

実家の親に、電話で相談しても、あの子はふつうなのに、と言われた。おかしいのは自分なのかと悩んだ。

自分の子どもを信じなくてどうする、と言われた!(これには会場から苦笑まじりの悲嘆の声が上がった。逆なのに、、という思い。)

 

最後に話してくれた人は、ずーっと、えも言われぬ不安がありました、と切り出した。上の子も言葉が遅かったけど今では学校でうるさいと言われるくらい話してる。そんな息子を育てた経験もある。でも、何か違うんです。何かが違うけどそれが何かわからない。息子に何が起きてるか、わからない、ずっとそれが不安だった。ひたすら毎日、発達と障害を検索する日々だった。ある時飛行機に乗ることがあり、その時の息子の様子を見て、これはもう絶対に何かあると、誰がなんと言ってもわたしは帰ったら息子を発達相談に連れて行くと決めました。あの時、ここの門を叩いて、本当に良かったです…

 

ふつうだ、ふつうだと言われて悩んでいた時、「お子さんと親御さんが、なにか困っているなら、支援を受けていいんですよ。」と相談の人に言われたことを指針にしたという人もいた。発達障害にいわゆる診断はなかなかつかないから、本当のことがわからないと親は悩む。でも本当のこと、病気の名前、障害の名前、そうではなく、困っているかどうかで決めていい。そうなんだね。

 

ふつうだよと、励ましてるつもりで言われる言葉が、彼女を追い詰めていただろう。このくらいふつうだから自分で頑張って育てなよ、て、言われてるみたいに。ふつうだよ、て、何にもならない。会場にいる人が、みんな深くうなづいて、聞いているようだった。

 

のゆが生まれて、ダウン症の疑いがあると言われた時、駆けつけたわたしの両親は、顔をしげしげと眺めて、そんな風に見えないなあ、やっぱり違うんじゃないのかな、て、定期的に、言っていた。プロが見て検査を勧めた時点で、まあ9割そうだろうって、頭ではおもっていたわたしは、まあ違った方が楽だな〜と毎日おもってはいたけど、そう言われるとちょっと違和感があった。そうかもしれないけど、大丈夫。そうだとしても、何も変わらない。それが、必要な、言葉だったとおもう、深くて渡れそうに見えない川を、えいっと渡るために、伸ばしてもらう、手のように。

 

実際わたしの母は、その言葉も最初からふんだんに、かけてくれてはいたのだけれど、それでも、早々に「ダウン症」と決めるのも…という気持ちもあったのだろう。そのときのことを、思い出した。

えも言われぬ不安という川。渡るための手をつかむことができてよかった。大変でした!と笑う3人のおんなのひとたちをみて、わたしは勝手に、泣いていた。