わたしの産んだ、3人めのこどもは、のゆり、という。

21トリソミー、ダウン症を持つ三人目のこども、のゆりとの日々。きょうだいブログ『あおとわたし』(https://aoinotediary.hatenablog.jp/)も始めました。

2歳になった

のゆが、2歳になった。2歳、というのにはもっと、違和感を抱くものかと思っていた。何を隠そう1歳の時には、わたしはのゆのあまりの赤ちゃんぽさに焦ったり絶望したりを繰り返していたから。それは健常の子どもと比べてということではなく、ダウン症の子どもたちの中で、のはなしで、のゆはその中でもとびきりふにゃふにゃで、赤ちゃんの時ぽい1歳だったのだ。

 

それに2歳という言葉には、ひときわかりんの記憶が色濃くて、2歳にはかりんはおしゃべりしていたし、幼稚園に行っていたし、いっぱしの「ちいさなこども」だった。あおはしゃべるのが遅く、まだまだ静かではあったが、静かにいろんないたずらをして、小鬼感を出していたし。そんなこんなで、さすがにのゆが2歳っていうのは、違和感をぬぐえないのではないかと思っていたのだった。

 

でも、意外とそんなことなかった。のゆは、意外なほどきちんと「ちいさなこども」に成長していた。誰とも違う、彼女だけの佇まいで、小さなお人形のように、「赤ちゃん」から「女の子」になった。

 

あれこれおしゃべりするわけでも、一人で歩くわけでも、幼稚園リュックを背負って幼稚園に行くわけでもないのに、のゆは、実際急に、おとなびたと思う。話す言葉は「ママー」がほとんどだけど驚くほど豊かな感情を言葉とさまざまな声と態度と表情で伝え、それはもうおもしろく愉快で、のゆにベタ惚れのかりんだけでなく2つ違いのあおも、のゆを構っては遊んだり、叱ったり、なだめたり、いっぱしに語り合っている。「のゆが」「のゆが」と言っていたのが、「のゆちゃん」、といつのまにか、呼んでいる。のびた前髪をピンできちんと止めて、コップでじぶんで水を飲みたがり、スプーンを握るのが好きで、それを口に運び、食事の前など早く席に座らせて欲しいのに素通りされると文字通り床に突っ伏して泣きわめいたりする。お水のお代わりさし出されたらいらないと首を振ることもするし、好きなものと嫌いなものをきちんとじぶんで選び取る。いくら止めてもソファに登りクッションの山に足をかけ、「のゆ!」と諌めるとこちらを向いて「ダメ?」という顔で私をみる。ほとぼりが冷めると、またやる。私のカード入れからカードを全部出す。袋の中のものを全部出してまた、忙しそうに詰め込む。ピアノ絵本で毎日毎日、みんなが苦笑するほど同じ曲を、ちいさな指でちいさなボタンを的確に押して、流す。歯磨きは兄姉の真似をして口に入れ、わたしの膝にごろんとあおむけにもなる。兄のカバンからパンツを見つけ出して履こうとして足をいれる。靴下にも足を入れていた。なにもかも、兄のすることなすことぜんぶ、じーっと穴の開くような密度で見ている。そんなこどもが2歳であることに、実際、なんの違和感もない。

 

歩くのは急がないほうがいい、と大抵のPTでは言われ、外板扁平足を矯正する装具の型どりもした。1日中ではなく立っている時、レッスンの時間などにつけて、足をまっすぐにするのだと言う。まだ先だと思っていたいろんなことが、2歳という言葉と手を繋いでやってきた。

 

2年前、といってものゆが生まれたその日にはまだ、彼女がもつダウン症というものをわたしもおっとも、知らなかった。数日後、それはやってきて、わたしたちをびっくりさせ、混乱させ、怯えさせたけど、でも、それは意外と早く、姿を変えた。のゆは、そのままでのゆだった。受け入れるとか受け入れないとか判断する以前の問題でもう、わたしたちの腕の中にすべてがあった。

 

でも、明らかにそれがわたしたちの人生を変えたのだ。だからなかったことにはしない。普通の子と同じように育てたらいいという人にも最近会った。いまはまだそれはよくわからない。ダウン症のこどもについて考えながら、のゆについて考えているいまの日々がいまはわたしはとても好きだ。

 

ダウン症の検査をしたほうがいいとおもいます、と言われたその日を、わたしはもう1つのわたしたちの誕生日だと思っている。