わたしの産んだ、3人めのこどもは、のゆり、という。

21トリソミー、ダウン症を持つ三人目のこども、のゆりとの日々。きょうだいブログ『あおとわたし』(https://aoinotediary.hatenablog.jp/)も始めました。

春の雪

今年の3月は雪が降った。それも2回も。

 

1度目の雪を、わたしは病室の窓から見た。すぐ脇には大きな建物があり、隙間から灰色の空が見えた。雪は細かく横殴りに空中を埋め尽くしていた。

 

新型コロナウィルスが日本でもそこそこ流行を迎え、いきなり小学校が休校になったころ、昨日まで元気だったのゆりが、朝から元気なくゴロゴロとしていた。朝ごはんも食べたがらないので、好きなR1を飲ませる。熱はないけど明らかに様子が違っている。その日は月に一回の赤ちゃん体操と健康観察のための受診の日だったので、赤ちゃん体操は出来ないけど受診に行くことにする。療育先に立ち寄って昼ごろ病院につく。まだ熱はない。

 

抱っこしているとひたすら寝てしまい、お昼も食べず、水ばかり飲んで、診察になる。診察直前に熱が上がってきた。ひと目見てあれあれ、とO先生。あれこれ相談して、まあ救急病院も近くにあるし風邪薬出すから帰る?と話していたのだけど、とはいえダウン症児でハイリスクなわけだしやっぱり念のため血液検査して安心してから帰ろうか?ということになり別の先生が携帯で呼ばれてやってきた。検査すると血糖値が低く、「朝昼食べてないから、低血糖じゃないですかね、何か食べさせてみましょう」みたいな話になったが、一口しか食べなかった。食べませんね…と看護師さんと手を止めているとまたO先生が来て、「しっかり点滴して一泊入院して帰る選択肢もある。もう夕方で看護師さん減っちゃうし入院するなら部屋の調整もあるから今決めてもいい?」と言う。まさか入院になるとは思ってなかったのでええっと思いつつ、先生がそのほうが良いと思われるならそうします、と言った。「家の近くの救急病院の方がよかったら空きがあるか問い合わせてみるけど。点滴止めてタクシーで移動っていうのも大変だけどね…」と言われるが、その救急病院に入院した時は、荷物を取りに帰るのも不在時間を聞かれるほど徹底した付き添い入院で、実際、古い教室みたいな扉の、中も見えない完全な個室だったので不安にもなったことを思い出し、「いえ、ここであることに問題はないです」と、変な受け答えになる(他人と話す時、なるべく正確に話そうとしているのだけど、それが伝わりやすいとは限らないということを自覚するのはこういう時だ。そしてあとで入院中の主治医と話す時このことを思い出すことになった)。

 

では入院だということで「もう無理に食べさせなくていいよ!」と言われ、入院の説明を受けながらレントゲン室に移動する。そしてレントゲンを撮ってみたら、あっさり、「肺炎」だった。聴診器ではわからなかったのだそうだ。冬からずっと鼻水と痰で眠る時など喉の奥で音がして、預かり療育の人からは苦しそうだと何回も言われていた。隔週、時には週に二回など診察を受けて薬をもらい、痰や、鼻水を吸っていたけど、なかなかスッキリしなかったのだ。前から悪かったのかもしれない。熱がなく、普通はすぐレントゲンなぞとらないからわからなかったのかもしれない。そんなことをついもらすと、入院中の主治医になった先生が、「こどもの病気は急に悪化しますからお母さんがそれを察知するのは簡単ではないです。すごく注意深い人なら感じる方もあるかもしれないし、わたしは医療者ですから、自分のこどもがなんかいつもと違うなというときなんかはやはりわかりますが、だからといって早く気付いて手を打っておけばというような状態ではないですね」と説明してくれて、重荷を下される気持ちになった。そうして、念のための一泊入院からあっという間に「1週間程度の入院」へ、激変したのだった。

 

肺炎と言われたら時期的に少しは気になるのは、新型コロナの肺炎だった。万が一新型コロナウィルスによる肺炎なら、療育先にも影響が出る。まだ4歳のアオを一時保育に行かせたり親に預けたりもできない。かりんはその頃義実家にいたけど、そのまま隔離したほうがいいかもしれない。その可能性は低いと感じてもいたけど、絶対とは言い切れないのが、難しかった。結局、いくつかのウィルス検査は陰性で、風邪による細菌性肺炎だろうという診断がつく。細菌性肺炎なら、抗生剤を入れてガツンと効くはず。「帰国者や感染者と接触したわけでもないし、この子の普通の生活をしていて新型コロナという可能性は低いと思います。検査対象ではないし、検査をするつもりもありません」と、入院中の主治医は言った。ニュースでは、電車が、スーパーが、と言っているのに、電車で療育に通っているこどもの生活は医療現場では「可能性が低い」、のだなと、そこだけは不思議に感じる。ゆっくりと、頭の中のことを一つ一つ正確に言葉に移しているような先生だった。あまり共感的ではなく、わたしが正確に話そうとする時の言い回しにもそれは似ていると思った。だからか、淡々と、かつきっぱりとして、「検査して安心したい」という人からみたら「とりつくしまもない」と思われてしまうかも知れないけど、わたしは信頼して、「わかりました」と言った。今でも先生の「わたしは医療者ですから」という言い回しを思い出すと、心の中でふふっと笑いたくなる(耳慣れないけどとても先生らしい言い方なので)。

 

とりあえずいつもなら頼る自分や夫の親にはアオを預けないことにする。抗生剤が効けば「細菌性だったね!」と言っていいのだろうと、夫と電話で話す。そして、点滴の効果は驚くほどすぐに現れた。「夕食どうしますか、もうオーダーしないと間に合わなくて食べなくてもお金かかっちゃいますが」と入院時に言われ、「食べないかもしれないなあ」と思いつつ頼んだ夕食を、のゆりはなんと全部食べた。とはいえわたしが「形態は離乳食後期」と伝えたために離乳食後期メニューが来てしまい、お粥と豆腐、ヨーグルト、みたいな内容なので焦る。元気になってきたらこれではもたないだろう。必要な食事の内容と形態にズレがあるのでこういう時苦労するのは、ダウン症児あるあるなのをすっかり、忘れていた。看護師さんにお願いして、リクエストを伝えてもらう。薬はついていたヨーグルトで食べた。付き添いようの寝具を、椅子が変身した折り畳みベッドに乗せてわたしも、寝た。ふかふかした布団がついていたけど、病室は暑くて、シーツをかけて寝た。それから4泊、入院したのだった。