わたしの産んだ、3人めのこどもは、のゆり、という。

21トリソミー、ダウン症を持つ三人目のこども、のゆりとの日々。きょうだいブログ『あおとわたし』(https://aoinotediary.hatenablog.jp/)も始めました。

ハハノヒ、そしてハイハイのヒ。

母の日は、わがやでは大変な日であった。まず、あおがトイレ(大)に成功した。トイレに勝手に座って1人でうんちをする、ということがまだできなかったのだけど、とつぜん成功して呼ばれたので、すごいねえ母の日スペシャルかな?とみんなで祝う。

 

一方、のゆは、朝から療育というかマッサージの会みたいなものと、動作法という療育の体験をはしごして、動作法の前におひるごはんを食べていたらいきなり、(おいしい)のサインと思われる、ほほを軽くたたく、という動作をみせた(じっさいのゆのばあい、あたまのよこをたたいていたけど)。サインは見せているけどいつ本人が使うかなんて期待もしていなかったので、ほんとうにびっくりする。その後もタッパーにフタを載せてみたり、なんだかえらく、かしこげなのである。こちらも母の日スペシャルかな〜?とおもったら、動作法の先生に抱き上げられたり体をあちこちやられるので、すっかり怒って泣いてしまう。泣いてもやめない先生だとは聞いていたけどその通りで、のゆは泣きすぎてヨレヨレになった。ちょっとペースを緩めたり親に抱っこさせることもなく、ひたすら練習を続けるのだけど、あんなに泣いてたら体に力が入って、やりたい練習にならないのではないかとしろうとめにはふしぎでもあった。なんて、同情よりは少し不思議という気持ちでわたしは付き添っていたのだけど、とりあえず先生がそこまでしてらやらせたいこと、使わせたい体の部分のいうものをわたしなりに理解したので、家での宿題とする。

 

のゆのばんがおわると、ケロリとしてお気に入りのマグケースであそんでいたけれど、知ってる女の子がニコニコして体験していたのでそちらを向かせようと体を動かすと、畳の上にひっくり返って泣いたのにはおどろいた。いやいやいやー!と声が聞こえるような泣き方だった、デパートで床にひっくり返って泣くと言われるようなあんな泣き方だった、ごめんごめんと、わたしが腕を伸ばして、抱っこを促すと、いつもならその手を自分で自分の体の両脇に引き寄せて抱っこして、とするのに、それもせず、ひたすら怒った顔で、わたしを見て泣いているのだった。そのまま家に帰っても、いつもの「ママ、ママ」というなつきかたを見せることもなく、どことなく、つーん、としているので、怒ってる〜根に持ってる〜、、とみんなで、おこっているのゆをしみじみと見てしまった。

 

それ以来、のゆは怒ると激しいし主張もするようになり、その激しさを、いままで、どこに連れて行っても大抵大人しくしていて世話なしだったからこそのその落差を、わたしは「たいへんになりました」と言いつつ、けっこう、たのしんでる。のゆには意思があり、感情があり、欲求があり、なんといってもそれを伝えるつもりがあり、その回路はわたしたちにむかって、世界にむかって、開きすぎるくらい開いているのだ。それはとてもとても、うれしい、喜ばしいことだ。つたえようとしてくれてありがとう。世界を信頼してくれて、ありがとう。返ってくる、こない、という判断すらせず、返ってこなかったらいやだなという恐れさえなく、気持ちをしまいこまないで、ぜーんぶほおりだして泣くという、あかちゃんの世界への呼びかけ方に、いま、新しい欲求を載せて、のゆが、力強く、獲得している気がする。

 

次の日はのゆは、いままでお皿に突っ込むだけで決して口に入れなかったスプーンをくちにいれるようになった。マグも、両手で持ってくちにあてたりするようになった。まだ母の日スペシャル続いてるねえ、とおどろいているうちに、なんとなんと、いつの日かなあと先の方にぼんやりみていた、ハイハイまでするようになった。

最初は半信半疑で、「姿勢はハイハイぽいけど、膝は使ってないかも」とか、わたしは色々言ってたのだけど、翌週PTの部屋の広いマットの上で、満面の笑みで、ハイハイをした。先生も「あ、ハイハイですね。足が開き気味ではあるけどいずれ閉じてできるようになるとおもいます!」と、ハイハイ認定がおりる。すごいなぁ。ハハノヒから、ハイハイのヒがやってきた。