わたしの産んだ、3人めのこどもは、のゆり、という。

21トリソミー、ダウン症を持つ三人目のこども、のゆりとの日々。きょうだいブログ『あおとわたし』(https://aoinotediary.hatenablog.jp/)も始めました。

不安をほどく

のゆりの療育先のひとつではブレインジムというものをとりいれていて(といってもふだん小さい子たちのレッスンで使われている感じはあまりしないのだけど)、その一つである※、自分で体操したり体を動かさない小さい子や重度障害の子のためのメソッド、BBAの講習を、一年前くらいにうけた。筋トレになるとかそういうものではなく、体の発達をいくつかの次元にわけて、それぞれの滞りとか不安になっているところを流していくようなイメージ。どこがどう、というのはわからないけど、寝かしつけの時にそのとき習ったマッサージをしてきた。1ヶ月前、その一つのマッサージをあまりにハイスピードでやっていたことがわかり(というか本来すごーくゆっくりやるものだったということがわかり)ショックを受けたものの、新しい気持ちで、それまでサボりがちだったのをむしろ楽しみにやるようになった。その一回一回が、のゆりの発達を促すものだと思うと、ワクワクしながら寝かしつけをするようになった。ついでに体を見てくれる先生から伝授された施術も、ちょこっとやる。BBAじたいは、体を強くするとか、歩けるようになるとかそういうものではないけど、不安が強い子に特に良いと聞いたマッサージを丁寧にやった。その効果だ、と断じることは決してできないのだけど、今月はのゆに、大きな変化の兆しが見えた月だった。殻を破る、というよりは、殻が自然にひらいたような。固い固い何かに覆われて、いろんなものを怖い、嫌だと言っていたこころが、何気なくいろんなものに「ほしい」と手をのばせるようになったような。そんな幸せなイメージがして、不安をとる、ということばがあるならばそれはまさしくこのことではないかと思うのだ。

 

たとえばのゆは、幼稚園や、母子分離の預かり療育ではそんなことないのに、わたしがいる療育のグループではみんなと椅子に座っていることができなかった。最初は座るけど、みんながいる時返事をするとか手をあげるとか、手遊びするということは絶対しない。しばらくすると部屋の後ろのスロープや階段やらソファやらの方に逃げ出していく。それを引き止めるのは一苦労だった。定期的に作成する個別支援計画で

「グループに離席せず参加する」という目標を書かれた時は、幼稚園ではできてるけどここではできないことも、やはり頑張らないとだめなのか、と落ち込んだ。

 

手の感覚も口の感覚も過敏気味で、ベタベタしたものは触れず、寒天遊びはトラウマ級にいやがり、粘土もだめ、食べものが手につくと「て、て」と言って拭いてくれとさしだし、つかみ食べなんて夢のまた夢。食べるといえば固いものは一切だめで、かじりとりはせず、哺乳瓶、ストロー、マグ、ラッパや、シャボン玉の吹き口、はしもフォークもいやだ。食べ物はスプーンで口に運ぶ。そう決めてしまったみたいだった。

 

それが、グループや、音楽のクラスで最後まで座っていることができた。

箸でバナナを口に運んで食べされることができた。

突然、ストローでジュースがのめた。

そして昨日、粘土で遊べた。夜にはテーブルにこぼしたにんじんを手でひろい、口に入れたのでわたしは歓喜のあまり、食べこぼしでベタベタの顔と手とテーブルもそのままに、記念写真を撮ったのだ。

 

口の過敏も手の過敏も、アプローチしてきた。それぞれが発達したということもできるだろう。でも、発達とか成長は一つ一つバラバラなものではない。いろんなところがリンクして、一つが自由になるとほかのところも自由になる、そんなふうに、絡まりが、連鎖的に解けて行くことはあるようにおもう。

 

のゆのどんな不安の、どのていどがほどけたのかわからない。粘土は兄がやっていたから。兄がやることは自分もできると思うようになったんだろうと夫はいう。それもそのとおり。ストローもわたしのタピオカミルクティーカップに手を伸ばしたのが始まりだった。でも。今まで、だいすきな兄や母が食べたり飲んだり楽しんだりしているものでも、手を出すことがなかったのゆ。そののゆが、ほしい、と手をのばせるくらい自由になった。それをやはりわたしは、不安が和らいだ、といっていいのではないかと、思っている。

 

追記※ BBAはブレインジムの一部ではないようです。共通するものはあると思うのだけど…わかり次第追記予定。