わたしの産んだ、3人めのこどもは、のゆり、という。

21トリソミー、ダウン症を持つ三人目のこども、のゆりとの日々。きょうだいブログ『あおとわたし』(https://aoinotediary.hatenablog.jp/)も始めました。

のゆの発達

市の支援センターのようなところで受けているPTにいった。風邪が長引き、家での練習が何もできない日々が続いていたので、行っても変わりがないかなあと思いつつ、春休み中のかりんとあおに留守番してもらって出かけていった。

そして、行ってよかった!と言って、帰ってきた。

 

わたしは家で練習させたり、マッサージしたりそんなことができないと、宿題ができていないような気分になってしまうけど、のゆの発達はその間止まるわけではなく、生きているだけで、日、また日と、すすんでいる。なんでそんなことわからなかったのかとおもうけど、そうなのだった。

 

重心が傾きがちだから、あまり使わない左手を伸ばして上にあるものをとるように、左の上前方におもちゃを見せてみよう、という宿題は、座ったまま器用に方向転換(回転まで!)するのゆにあっさり無にされ、くるりと向きを変えて右手でおもちゃを奪われる。その話をしたらPTの平岩さんはあははと笑って、でも重心の傾きがだいぶ減っている!というのだった。座って遊んでる時はだいぶ真ん中に重心があり、疲れてきて背中がまるまるころに、また傾いているようだと。

 

のゆはねんねの時から足がすごく活発で、何をするのも、足だった。おもちゃに触るのも、わたしの膝にアピールするのも、足先を伸ばしていろんなことをしていた。赤ちゃんにとって最初は手足の区別はあまりなく、便利な方を使ったり、またはのゆの場合、とても慎重だったので、手よりも距離が取れる足でいろんなものを試しているようなきらいもあった。いつもの療育先のY先生に、「そろそろ手優位になるといいなあ」と言われたのは一歳ごろか。手を使う遊びもさせ、それでもやはり足が出ることをわたしは警戒していた気がする。それは平岩さんも知っていて、だからこそ、のゆが器用に足を折りたたんで横坐りしたり、片足を立てて座ったり、体制を変えるのに微妙な角度で足裏を床につけたりするのを見て感心したように「いや〜足の使い方がうまいなあ〜」と、言うとき、そこには、「いつものあのようすのあの足が生きたなあ!」という、感慨があるのだった。「あかちゃんのときからほんとに足がでる人だったもんねえ」とわたしは言い、「うまい!これはすごい!」と褒められて、なんか、無駄ではなかったんだなと、肩の荷がひとつ降りたような、気持ちがしたのだった。

 

その後のゆは、風邪で休みがちな日々が終わったら途端にそれまで上手になっていたズリバイをやめて、座ったまま、手で自分の体前や後ろに動かす「いざり」を始め、それで家中どこへでも、いると思わなかったところにまで移動してみんなの後を追ったり、机の下に入り込んだり、不在の兄姉の作業スペースを漁ったりして楽しむようになった。Y先生には「楽することを覚えるからお尻歩き(いざり)は阻止して」と言われ、「こんなに自由自在に動いてるのにやめさせられるのか。家でどれだけ注意してればいいの」と絶望的にも思われたけど、目下、今までとは違って足を曲げて使ったりしつつの座り移動したり、最初の一歩はいかにもハイハイしそうにかっこよく、ばーんと手をついて前に出て、結果また足を開いたまま前に回して座ってしまう、を繰り返したりしていて、それは、「楽を覚えて同じことをしている」という様子でもないので、今はそんなに心配してない。むしろ、ズリバイが日々形を変えていたように、今の進み方も、一回一回、工夫を経ているようだ。

 

わたしが働きかけているその間だけが、のゆの発達が進む時間だと思ったら大間違い。そんな誤解は思い上がりだし、それに、例えばかりんが、机に向かって算数の問題を解いている時だけ数の理解を進ませているわけではないということと、それは同じだろう。今日ものゆは、床に落ちているねーねのスカーフを首に巻きつけて見たり(使い途を、知っているのだなあ!)、にいにの棒つきのキャラクター風船を魔法使いのように振り回したり(おかあさんといっしょコンサートで、のゆにも買ってあげたらよかったねえ)、雑多な家の中をどんどん移動し、楽しみ、すくすくと、育っている。