わたしの産んだ、3人めのこどもは、のゆり、という。

21トリソミー、ダウン症を持つ三人目のこども、のゆりとの日々。きょうだいブログ『あおとわたし』(https://aoinotediary.hatenablog.jp/)も始めました。

新しい感情

年明けから食べる量をぐんとふやし、「正月太り」に成功したのゆは、そのままの量をなんとか食事でとりつづけていて、いまでは抱き上げるとずっしりとした重みと、からだのみちっとした肉のかたさを感じさせるようになってきた。床に座るすがたも、背筋が伸びて骨盤のたった、ぴーんとした背中でいることが多くなったし、2月の末頃は「よほどほしいものがないとしません」と言っていたずりばいを惜しげもなく繰り出して、ときにはハイハイのような四つん這いになっていることすらある。留守番を頼んで出かけたわたしが帰ってくると子犬みたいに全身ではねて、いきおいよくそのずりばいでこちらに向かってくる、その勢いはいつもわたしを感動させる。

 

座ってものをひっぱりだすのがなによりもたのしく、わたしのカバン、おもちゃのはいったかご、ごみ箱、と言ったものの中身を手探りしては放りだすのが最高にクールな遊びらしい。ものを中から出す、という楽しみがなくても、「ひっぱる」だけでもそれはいけてる遊びに入るようで、干されている洗濯物、床の上におかれたかりんのランドセル、そこからのびた定期入れのくるくると伸びる紐と定期入れの中のこまかいポケット、ソファの上に置かれてコードやチューブが伸びていることが多いあおの吸入器、抱っこ紐のベルト、そうしたありとあらゆるものを、引っ張っている。食事のときはテーブルクロスをばたばたとひっぱるので小さなショットグラスに入ったのゆのお茶はなんなくひっくり返り、「のゆがおちゃこぼしたー」というあおの声で、「ああ、またやっちゃった(そこにお茶を置いちゃった)」とわたしはおもう。「ひっぱっちゃだめ」なんていうことはまだしない。良い悪いという価値判断はまだ、意味がないだろうから。ひっぱりたいものをひっぱってる、今この瞬間、のゆにとってはそれがすべてだ。ひっぱりたいという気持ち。その気持ちに従って腕を動かし、手先を動かす力。能力。ひっぱってみたときの快楽。そうしたすべてのものを、のゆは「座った」ことで、手に入れた。新しい動きが新しい感情を。新しい喜びを。新しい表情、声、つまりは新しいことばを、もたらした。

 

だからわたしはいっしょうけんめい、のゆのからだにはたらきかけているんだ。筋トレみたいな練習をするのも、ならってきたマッサージをするのも、はやくハイハイしたり歩いてほしいからではない。体が、動きが、のゆに新しい感情と言葉をもたらすものだと、この半年で、心から深く、「知った」から。