わたしの産んだ、3人めのこどもは、のゆり、という。

21トリソミー、ダウン症を持つ三人目のこども、のゆりとの日々。きょうだいブログ『あおとわたし』(https://aoinotediary.hatenablog.jp/)も始めました。

絵を描くのゆ

 のゆとあおが今のこどものアトリエに通うようになって、半年以上経った。金曜の夕方、それはわたしの一週間の中の癒しの時間である。もともと療育先のアートのクラスに通っていたけれどそれは月に一回だけで、それなりに距離もあり、連れていく負担もあり、こういう、習い事でもできることは徐々に地元の習い事にシフトしていきたいなとおもっていた矢先にママ友が知り合ったのがアトリエの先生のお母様だった。先生の展示のDMをもらい、アトリエを知り、体験に行き、すぐに入会した。こじんまりした部屋の中にはたくさんの画材や材料があり、こどもたちはそこで自由に好きなことができた。描いたり、書いたり、作ったり、くっつけたり、壊したり、貼ったり、塗ったり、こねたり、縫ったり。先生のほかに、ご自身の教室で長年自閉症のある人たちにアートを教えているという、のゆにはうってつけのUさんという方がアトリエにはいて、わたしは勝手に運命を感じたのだった。

 のゆはあまりにダイナミックに絵の具をばしゃーん!とやるので、先生の提案でロールの障子紙を購入することになった。それが毎回床に貼られ、周りの壁はより一層ビニールでコーティングされ、のゆスペースとしてわたしたちを待ち構える。のゆはしばらくするとわたしの存在を忘れ、存分に色遊びを楽しむようになった。ビー玉をころがしたり、色を混ぜるのに使うボウルをふせて模様にしたり、自分の手足のふちどってもらったり、夏は氷を滑らせたこともある。合間合間にいろんな遊びをしながらひとしきり絵の具だらけになって、巨大な絵が完成する。「もういい」とあっさりのゆが宣言するので、いつも終わりは見えやすい。

 

 そんな初期の作品の一部を、先生がこどもたちの作品展のDMにつかってくれて、とてもすてきなポストカードに仕上がった。隅に小さくクレジットまでいれていただき、完全にデザインの仕事とおもいつつもわたしはほんとうにうれしくて、記念に、友達に配ったりしている。もしも、もしもずっとのゆが絵を描くことが好きなら、おとなになってもそういう場所を探してもいいし、こういう抽象画なら本の装丁なんかにもいいんじゃないかしら?なんて夢は広がる。ほんのひとときの没入かもしれないと知っているだけに、その想像は儚く甘い。

 

のゆは小さい時から描くのは好きでも、具体物をほとんど描かなかった。2歳くらいの頃、ダウン症のあるお友だちがニコちゃんマークを描いているのをみて衝撃を受け、急にそのことが気になりだした。絵の進化は認知の進みの表れなのではないか、待っていても描かないなら教えたほうがいいのだろうかと。聞けばその子には、父親がお風呂の鏡でニコちゃんマークを教えたのがきっかけらしい。5歳の時、「きのう〇〇ちゃんに会ったから、夜、眼鏡をかけている女の子の絵を描いておともだちーと言っていたんだ~」という、別のお友だちの様子を聞いて、驚き、ますますその疑念は深まった。そのあいだものゆは、わたしが抽象と呼ぶ、色や線だけの絵と、文字をまねた小さな鉛筆書きを繰り返していたし、たまに「バナナ!」と言ってほそながい黄色い形を描いたら、「のゆが具体的な絵を描いた!」とわたしが写真を撮っていたくらい、まだまだ珍しいことだったのだから。でも、そう思いながらも、わたしは描き方を教えなかった。<ダウン症のある子はほっとけば育つ、ということはない。教えないとできないよ、教えたらできる。何倍時間がかかっても。>それが療育先の所長の口癖だというのに、この件に関してはわたしは、のゆの絵が自然にどう変わるのか見てみたいという誘惑に勝てないのだった。

 

 DMをみせると友人たちは「すごいねえ」と言ってくれる。でも、たぶん2,3歳の子に同じ環境を与えたら多くの子どもはこういうことをするだろうし、こういう作品が生まれるだろう。のゆはある種の発達検査では3歳なのだから、そういう意味では何ら不思議はない。でも、のゆはある面では3歳ではない。感情や認知はもっと成熟している部分もある、そののゆがこれを描いているから面白いのかな、とおもう。

 だんだんいろんなものが描けるようになると、こどもたちは色遊びのような絵から離れていく。幼稚園の制作やお絵かきでも、学校の図工のなかでも、じぶんのスケッチブックでも。のゆがこのあと成長していったとき、その絵には何か具体的なものが生まれてくるのか、それともこのまま抽象の世界で遊び続けることもできるのか。わたしはそれにとても興味があるのだ。いや、そう思っていた、つい、昨日までは。でもきょう、それを少し変えることが起きた。療育の後のお絵かきタイムで、思い切り赤いクレヨンをぐるぐると動かした後に、のゆは、「さかな、さかな」といいながら黄色い形を描き出した。数日前からうちには金魚がいる。黄色と赤のコメットという、わりとほっそりした、魚らしいかたちの金魚が4匹。魚を目で追うことは眼球運動にも良いという下心もあったものの期待したほどのゆは見ていないな、と思っていた金魚だった。のゆは金魚という単語を覚えていない。金魚も熱帯魚もみんな魚。だから、さかな、さかなと言いながら描いているのをみて、それはうちの金魚なんじゃないか、とわたしはおもったのだ。かといって誰が見ても金魚だね、という精度でそれは描かれているわけでもなく、なんだか、抽象だ具体だという区別をつけていたことが、意味のないように思えてきた。それはさかなだし、金魚だし、コメットだし、黄色だし、楕円だった。その絵は、のゆの「さかな、さかな」ということばとセットで、一つの絵だった。絵にタイトルをつけるとか、タイトルがあるとか、今まで思っていたけど、ことばも含めて作品だったんだとわたしは知った。

 

 のゆが今まで描いた、名前のある形は、雨、バナナ、桃、鳥、そしてさかな。「雨を描いた」、とわたしは考えたが、雨を描いていたのか、雨という絵を描いていたのか。「桃食べないのに桃描いてる」、とわたしは思っていたけど、桃を描いているのか、桃という絵を描いているのか。雨、雨、と描くように、喜びや悲しみとか、春とか秋とか、はっきり見えないものも、彼女には描くことができるのかもしれない。抽象って思っていたものは、具体だったんだなあ、と今、わたしはおもっている。