シャンシャンが中国に帰る。
シャンシャンはのゆりとおないどしだ。秋に生まれたのゆりが年を越して心臓の手術をした6月、シャンシャンが1歳になったというニュースがたくさん流れていた。なのでわたしの中でシャンシャンはのゆりと同じころに赤ちゃんだった存在で、いまでもシャンシャンと聞くと、手術の控室だった小さな応接間のような部屋のテーブルと、何を聞いても落ち着かなくてイヤホンで結局昔の合唱曲を聞いていたことを思い出す。
シャンシャンはパンダの中でもとびきりかわいいのだそうだ。黒柳徹子さんがインスタに書いていた。のゆりも、とびきりかわいい、ちいさいおんなのこだ。ピアノの先生のところからはりきって歩いて帰る道すがら、まるいほほ、小さな耳、細い髪の束、こうして歩いて帰るといい長い距離を歩くようになったこと、ぜんぶかわいいなあと思って見つめてしまう。最近就学のことでもやもやとして、ただただこの子が成長していることとかわいいということだけを喜んで生きていられなくなっていたことが苦しかった。できれば就学猶予で一年幼稚園をのばし、その後は地元の支援級に行かせようと思っていたのが、就学猶予は実際無理そうだということがわかり、加えて、「インクルージョンな環境に置くべし!」という強いアドバイスをうけ、それはもうさんざん考えたことなのにまた振り出しに引き戻され、しかもさんざん考えた当時よりずっと就学の日は近づいており、たった一年でそれほど体が大きくなるとも思えず、この一年に期待しすぎることもできないのだから。ただ、できるできないは別としてイメージをしてみようと努力した。その結果、何をしていても「こんな赤ちゃんサイズで、赤ちゃんみたいな生活の仕方で通常級に!?」と、いちいち、思ってしまう。そして、「このくらいのレベルならまだ学校でやっていけるのに・・・」というレベルを思い描いて比べてしまうのだった。でもそのことにはいい一面もあった。たまたまベネッセのふろくとして余っていた「学校かみしばい」というものをのゆりが気に入り、読んでくれと言ったり、発表会セット、という赤い蝶ネクタイを首元につけたりして喜んでいて、「がっこう、がっこう」などというので、「がっこういきたい?」ときいたら「うん」というのだった。わかっているかは別として。もしかしてこうやって「がっこうにいくんだから」と促していくうちに越えられる壁もあるかもしれない。わたしが思っているよりずっとこの子は状況を読んで、そこで必要な立ち振る舞いを習得することで、いまどうしてもできないと私が思い込んでいるいろんなことをクリアしていくかもしれないと、初めて思った。それで、「この子のペースでスモールスモールステップで」と変化をサポートすることに徹していたわたしが、「がっこうにいくんだからそれはもうだめだよ」という目線をもつようになった。そうしたらすこしのゆりもかわった。ほんの1,2日のできごとだ。ほんのちいさな、できごとだ。でもそれはたとえば、いつも気が済むまでふりかけや鮭フレークを追加しないと白いご飯をたべないのに、追加するのをあきらめてそのまますこしのふりかけでお米を口に入れたとか、そんな、生活の中で小さいけど致命的な「特性」となっていたことをも変えられるという希望のサインでもあった。
わたしが思うよりずっと、変化は、環境によってとつぜん、起きるかもしれないという、希望のサインなのだった。