新型コロナワクチンの3回目を打った。2回打ってまあいいかとほったらかしていたらまた感染拡大すごいと言うし、予約なしでできる臨時会場ができていたので金曜の夕方に寄ってきた。多少の副反応は覚悟していたけど思ったよりひどくて、翌日午前中には寒気がして、だんだん頭痛がひどくなり、熱が出てる感じがひしひしとわかった。あおの用事で出かけていたので昼に帰宅すると冷えピタをおでこに貼って布団に倒れ込み、ブランケットをかぶる。おっとが作ってくれた冷やし中華をなんとか麺を口に送り込むように食べ、また布団に入る。時々目が覚めて解熱剤を飲んだり、ポカリを飲んだり、冷えピタを変えたりする。呆れるほど眠れた。
早々に一度目が覚めた時は隣でのゆが寝ようとし、「トイレに行きなさい」とおっとに諭されていた(絶賛トイレトレーニング中の彼女は今、薄い布のパンツで生活している)。嫌だと泣くのを抱き上げてトイレに座らさ、おむつを履かせる。居間を見るとソファでおっとも寝ていて、かりんがあおになにやら絵を描いたりするのを世話していた。無謀にもおっとも昨夜ワクチンを打ってきたのだ、2人倒れたらどうするのと言ったのに。昼ごはんを作るまではしたものの、そのあと熱が出ていたらしい。わたしは布団に戻り部屋の電気を消して横になるとのゆも隣で横になってすぐに眠った。家で昼寝をするなんて滅多にないことだ。
その次はのゆの号泣する声で目が覚めて、おっとがきてなにやら対応していたけどまた隣でのゆは寝た。
次に起きた時のゆは絵本を山ほど出していてわたしはほとんど絵本に追いやられて寝ていたようだった。そのまま寝た。
その次はあおが「のゆがポカリ飲んでるよー!」と言うので起きてみるとのゆがわたしのポカリを見つけ出して器用にペットボトルの蓋を開けて勝手に飲んでいた。玄関や廊下も、いろんなカバンから引っ張り出したいろんなものが散らばっていた。
夕方にはだいぶ熱がさがり、「峠を越した」と思ったそのころ、のゆは一度片付けた絵本を一冊づつ出して何やら延々と、朗読していた。
夕飯を食べてまた寝ようとしたけど流石に眠くならなくて、でもだるくて、居間に出てみるとなぜかおっとがテレビで『下妻物語』を流していた。おそろしく画質が悪かったけど深キョンの声とセリフですぐに「これ『下妻物語』!」とわかった。こんなに刷り込まれてると思わなかったくらいに。そのまま結局最後まで観た。のゆは床で寝そべるわたしの隣にお気に入りのクッションを置いてゴロゴロしていた。普段なら寝てしまうけど昼寝のせいか一向に寝ず、一緒にテレビを眺めていた。映画が終わりわたしが布団には入るときは、ついてきて、また寝た。
結局いつ目を開けても、のゆが見えた。可愛いけどふと、将来を心配する、年老いた母が病気になったり、寝たきりになってるのにそのそばで楽しそうに暮らしていて何も深刻さを理解せず、親が死んでしまい、一人取り残されてしまう障害児(者)、というような、ありがちといえばありがちなどこかで見たような情景を無関係とは言えない立場なのだ。それはあまり考えたことのない未来で、将来のひとつの可能性だった。あなたが心配、と、ふと思う。そんな言葉はふだん、ほとんど出てこないと言うのに。
一人で出掛けて、働いて、遊んでおくれよ。自分よりなんでもできるはずの母を思い描き続けてハチ公のように待ち続けないでおくれよ。もし生活運営に困ったら、おねーちゃんでもおにーちゃんでも職場の人でもいいから伝えて助けてもらうんだよ。障がい者の自立とは、何も家を出て一人暮らしすることだけではなく、親と暮らしていたとしても親を一人の人間として、生活を共にする同居人として受け止め、自分の暮らしは自分で描くことができるってことなのかも。自立してなさそうでしてる人も、していそうでしていない人もたくさんいるんだと思った。
あなたが心配、だけど、このことに気づけたからきっと、大丈夫。のゆをどうやって育てたらいいか、ヒントをもらったような気がする。