わたしの産んだ、3人めのこどもは、のゆり、という。

21トリソミー、ダウン症を持つ三人目のこども、のゆりとの日々。きょうだいブログ『あおとわたし』(https://aoinotediary.hatenablog.jp/)も始めました。

海にいくのゆ

なつやすみのおわりのおわり、のゆと初めて、海へいった。かりんがあきらめずに海、海と言い続けた結果、台風をにらみながら急遽ホテルをとったのが、義母がすすめた、伊豆の今井浜だった。おっとのなつやすみを1日ずらしてもらい、ファミリールームがひと部屋空いていた日に予約を入れた。前日は台風で大荒れで、その日は嘘みたいに晴れていた。

 

 東京駅の地下の、祭りという駅弁屋さんでわたしの妹とまちあわせた。こども3人いると手が足りないので来てもらったのだ。あおは迷わず新幹線の駅弁を選び、わたしは蟹といくらの押し寿司を選び、おっとは柿の葉寿司を買った。かりんは慎重派で、駅弁の変わったものは食べたがらないので結局おにぎり弁当をかい、さらにそのおにぎりが1つは苦手な具だったので、近くのおにぎり屋さんに行っておにぎりを買った。わたしは本屋であおのためにトミカのマグネットブックを買った。妹がやってきて、蟹のお弁当を買った。蟹の形の赤い容器にはいっていて、それはあおいの浜遊びに良さそうだった。

 

踊り子号の窓の外は、途中からずーっと海だった。最初は騒いだこどもたちもその内、海海と言わなくなった。わたしはずっと海を見ていた。マグネットブックは、マグネットが座席の下にボロボロ落ちるので、電車の中の2歳児には、ハズレだった。

 

ホテルの部屋からは浜辺と海が見えた。芝生の庭も見える。スイミングプールもある。かりんとあおは、とっくに更衣室で水着に着替えていたから、海にいきたくてしかたない。大人の支度ができると、文字通り浜辺へ飛び出していったら。絶対に子どもの手を離さないでと、わたしは大人たちに言い続ける。台風の翌日で、空は晴れて、波は高めだった。あおはおっとと手をつないで、延々と波を飛び越え続け、かりんは波と一緒に遠のいたり戻ったりしながらずっときゃあきゃあ笑っていた。風がものすごく強くて、こどもたちはそうそうに帽子をあきらめた。部屋に帰って見当たらなかったわたしのサングラスを探しに浜に降りると、荷物を置いていた場所とは全然違うところに転がっていた。

 

のゆは浜辺に降りるとすぐに眠った。翌日もそうだった。波音がすると寝てしまうようだった。だから寝顔ののゆと海の写真をたくさん撮った。他に海にいたのはなぜか外国から来た観光客ばかりだった。白い肌を焼くために寝転がる女性、頭から水に潜る子供達と大柄なおとなたち。肌は白く、水着は大胆で、皆楽しそうだった。白い雲を通した光に照らされて、山と街が視界に入る日本の浜辺が、そこだけ異国の海みたいだった。

 

わたしのひとつの野望は、海辺にひとつ、部屋を借りることだ。週末になったらそこへいく。のゆと一緒に。その頃かりんもあおも、友達と遊ぶのに忙しいかもしれないけど、家族は誰でも、気が向けばそこにいく。電車でいけるところがいい。海岸まで歩けるところがいい。ビビリなので台風だとわたしはすぐ怖くなるだろうけど、だんだんなれるかもしれない。雨でも晴れでも、海が見えればそれでいい。のゆはなにをするのだろうか。泳ぐだろうか、絵を描くだろうか、すいぞくかんにかようだろうか。海の見える部屋の週末、わたしたちはなにを、楽しみにするのだろうか。

 

このなつやすみ、のゆは、一歳になった。