わたしの産んだ、3人めのこどもは、のゆり、という。

21トリソミー、ダウン症を持つ三人目のこども、のゆりとの日々。きょうだいブログ『あおとわたし』(https://aoinotediary.hatenablog.jp/)も始めました。

わたしのむすめ。

わたしが1番はじめに産んだむすめは、かりんという。5年生になって体操服が小さい、上着が小さいというので色々買い直した時にふと気づくと、太ももも今までの棒のような足ではないし、肩幅も、肉はあまりついていないけどわりとしっかりと骨があらわれてきて、なんだか急に大きくなっていた。昨年の自粛期間に背が伸びた、と本人も言っていてそう思っていたのだけど、昨日久々の保護者会で学校に行って、3.4年生の時の記憶があまりないような気がして、いま、喪失感に襲われている。まるで、この数年を逃してしまったような。何よりそのことをわたしは前から薄々気がついていたという気がして、ほんのりとした罪悪感と、しかし時間が巻き戻ってもこんな感じだったのだろうという諦めとがないまぜになってやるせない気持ちになっている。なぜなら、その数年とはそのまま、のゆりが産まれてからの数年間であり、わたしが無我夢中でのゆりのもつダウン症というものと知り合いがっぷり組み合い、取り組んできた数年間であるからだ。今あの時に戻ったら、今以上にわたしはのゆりに手をかけたかったと思いこそすれ、大きく生活が変わることはなかっただろう。のゆりのもつ性質がどうやらわたしにもぼんやりと掴め始め、体は小さいなりに、色々なややこしさはあるなりに、のゆりの成長が、幼稚園で過ごせる程度に軌道に乗り、今になって、わたしは、目の前の娘があまりに大きくなったことに愕然としている。そして、小さくて、いつもごきげんで、順調に成長していると思い安心してほったらかしていたあおが、いま色々な要求を体中から出していることにも、わたしは、だから応えるしかないと思っている。これはもはや開き直りにも近いけど…何をどう後悔しても、たとえ時間が戻っても、わたしにあれ以上何かうまくやれた、という気がしないのだった。

それでも、女の子という生き物が好きでたまらなかったはずのわたしにとって、彼女の少女時代がティーン時代に変わろうとしているということはかなりの衝撃で、試しにスマホのカメラロールを戻ってみたら、昨年の夏休みの写真は驚くほど幼くあどけない顔で笑う写真が保存されている。何年も見逃していた、のではなく急激にそれはやってくるのだ…きっとそう。でも学校行事の写真を何回も買い逃していたことは事実なので今度空いてる日に真っ先に再注文に行こうと思う。わたしが見逃していた気がするその間、学校で順調に育まれていた日々の面影を、集めて少し、わたしは、なぐさめられるだろう。