わたしの産んだ、3人めのこどもは、のゆり、という。

21トリソミー、ダウン症を持つ三人目のこども、のゆりとの日々。きょうだいブログ『あおとわたし』(https://aoinotediary.hatenablog.jp/)も始めました。

たましいの交流

最近食事の終わりになるとのゆがスプーンやらフォークやら、スタイやら、ひどい時には小さいコップなんかを投げるので困っていた。もともとお絵描きなんかしていてもひとしきり描くとクレヨンを投げ始める。投げることが楽しくなって、食事用のハイチェアに座らせてるものだから高さもあってよく飛ばせるから、どんどんやる。コップなど投げられると危なくて仕方ないし物を投げるのはやめて欲しいので投げたらおしまい、と片付けていたけど、条件反射のように投げている節もあり、始まると、取り憑かれたように投げている。感覚過敏のある子が物を投げるケースなどの話も聞いていて、そうなってくると、諭すことが何か意味があるのか、わたしは困惑していたのだった。2日前、食事の終わりにスプーンを投げようとふりあげたのゆが、ふと、わたしを見た。それはまちがいなく、「投げるよ…」という目で、その時はもう反射ではなく、取り憑かれてもいなく、感覚過敏のなせる技でもなく、腕を振り上げたところまでは何かの要因が影響しているかもしれないけど間違いなくここでのゆは、「投げるよ…いいのかな」と、踏みとどまっていた。なのですかさず、「投げない」、と、ゆっくり、言葉をかけた。のゆは武器を捨てて投降する犯人役みたいに、そろそろと、スプーンを食卓に、自分のハイチェアのテーブルではなく大人たちが使っている隣のテーブルに、置いたのだ。置けたねー!えらいねー!ぽん、て上手にできたねー!と褒めちぎると、顔は笑わないのだけど嬉しかったようで、そのあと何回も、ぽん、とわざとスプーンを置いていた。

 あの時わたしを見たのゆの目と、わたしがのゆを見てかけた言葉。はっきりと、交わったと言う手応えがあった、それは、大袈裟に聞こえるけどまさに、たましいの交流の瞬間だった。

しゃべるそぶりを見せ、喃語も、少しの単語も話し、すっかり会話する雰囲気を楽しんでいる私たちなのに、なぜだろう。あの時初めてあんなにはっきり、わたしはのゆと、強く、たましいを交わしたなあと思うのだった。今もまだスプーン、投げてるけど。