わたしの産んだ、3人めのこどもは、のゆり、という。

21トリソミー、ダウン症を持つ三人目のこども、のゆりとの日々。きょうだいブログ『あおとわたし』(https://aoinotediary.hatenablog.jp/)も始めました。

赤い山肌

週明け、完全看護の病院に無事転院することができた。あおとのゆが生まれた病院で、わたしにとっても慣れ親しんだ場所だけど、こどもが入院するのは初めてだ。自動販売機、の矢印について院内を歩いていると、ガラス窓の広がるスペースに、お茶とお水が出る機械や、ソファがおいてあった。そこからは驚くほど克明に遠くの山肌が見え、まだ西日という時間でもないのにその山肌は赤かった。油絵で描かれているような山々とした立派な山肌で、わたしは自分の住む場所がこんなに山に近いのだととつぜん、思い出させられる。世間話の声に振り向くと、そこは小児科病棟から繋がっている高齢の人たちの病棟で、検査に行く人と散歩をしている人がすれ違ったらしかった。わたしは水筒をもってきて、あたたかいお茶をもらうようになった。

 

朝は学校にいくかりんといっしょに家を出て病院にいく。ちょうど7時半ののゆの朝ごはんの時間に病棟に着く。夜は、のゆの晩ごはんを食べさせて薬を飲ませ、つかれきったのゆが吸入の音で寝てしまった頃に家に帰る。面会が8時までなのでもし寝なくても、そのくらいで切り上げることになる。ここまで時間通りに生活するのはものすごく久しぶりで、すがすがしい。何年も、こどもが複数いる主婦をやってきて、時間が毎日同じということは何もなかったと思い知る。おもわずかりんに、なんか会社にいくときみたい、と言うと、「ママかいしゃにいってたの?」ときかれたので、「あ、かいしゃじゃないけど仕事に行ってた」と答える。その時思い出していたのは時間と曜日が不規則な非常勤講師の仕事ではなく、一応決まった時間にデスクについていた助手ときの仕事だった。決まった時間に生活するのってつまらないと昔は思ってたけど、時々やると、気持ちいいなあ。それは知らない国で少しづつルーティンを増やして自分の生活を作り上げる時に、少し似ている気がする。