わたしの産んだ、3人めのこどもは、のゆり、という。

21トリソミー、ダウン症を持つ三人目のこども、のゆりとの日々。きょうだいブログ『あおとわたし』(https://aoinotediary.hatenablog.jp/)も始めました。

お葬式

翌々日は、おばのお葬式だった。電車を乗り継いで一時間半かかるのであおはおっとと置いていくことにして、お通夜も諦め、やっとの葬儀参列だった。かりんは黒いベロアの半袖のワンピースを着ている。日曜に、近くの朝市イベントでこどもたちとフリマを出して、ベロアの黒いバッグを売ってしまったことを思い出す。ビーズで花の模様がついているけどこどもだしそれでもよかったのにと思いつくと、そのバッグは、亡くなった当のおばから昔わたしといもうとがもらったものなのだった。直前に手放したことがすこし、悔やまれた。

 

電車の中で焼香の手順をかりんに話し、由来を調べている時に「お弔い」とわたしが言うと、「お弔いってなに」とかりんがきき、わたしは、「え!お弔いしらないの?」とすごく意外に思って驚いてしまう。妹は、「しらないでしょお弔いなんて」と笑うけど、わたしの頭に浮かんだのは、死んだザリガニを庭の隅に埋めたり、学校で飼っていた動物のお墓が作られた校庭の隅みたいな風景で、こどもたちがするそういう所作は、「お弔い」という言葉でしか表せないような気がして、とても意外だったのだ。でも言葉としては、あれかもしれない。「うみのそこではたくさんの さかなのとむらいするだろう」。

 

葬儀はこじんまりとしたものだった。アメリカにいるいとこがのゆとそう変わらない月齢の赤ちゃんを連れて帰国していた。赤ちゃんは、外国の赤ちゃん人形そっくりだった。のゆはどの人にもはつおひろめだ。葬儀が始まるとしばらくは隣にいるわたしの妹を眺めて口を動かしていたが、そのうちお経を聞きながら眠ってしまう。焼香のあいだも、棺に花を入れるときも、お見送りの時も、のゆはそのまま、小さな口を開けて眠っていた。