のゆは首を左に傾けるのが好きだ。そして、右に傾けるのは好まない。お風呂でのゆをひざに寝かせてからだを洗うときなど、のゆの右の首筋はよく見えて、左側を洗うのは難しい。右の首の付け根には、3つの小さな、見えるか見えないかくらいに薄くなった針穴のような傷痕がある。手術のあと、まだICUにいたときに、首の一番太い血管から大事な薬を入れていた3本の点滴の、その痕だ。その点滴がとれて、次に右手のカップで覆われていた太い点滴がとれて、のゆはだんだん身軽になった。それに伴って感染症のリスクなんかも減っていくとドクターからは説明をされた。
いま、もうその点は周りにたまにあらわれるあせものような赤みに紛れてほとんどわからない。それでもわたしはそこにいつも、3つの傷痕を見てしまう。見えないけれどあるように。あるけれど、見えないように。復活したイエスの脇腹に、疑り深い弟子が手を差し込んだように、わたしは見えない傷に目を凝らす。そうしていつも、病院にいたのゆと、じぶんを思い出すとき、目に浮かぶものは、夜の病棟の、夜間照明に照らされた廊下だったり、廊下の際の窓から見える都会の夜景だったり、廊下とドアのない病室を静かに出たり入ったりうごきまわる看護師さんたちのゆうれいのような身軽さだったりする。
だけどここはもう、慣れ親しんだ、明るい、安全な、わたしたちの家のお風呂場で、わたしはつるんとしたはだかののゆを抱いていて、ゆげとおゆは、わあわあと温かい。