5月の日曜日、こどものためのミサに行くために、かりんと教会へ行った。のゆはいつものように、抱っこひもに入れていった。早めに着くと芝生には日曜学校の子供達があふれていて、その前のホールのあたりでは、古本やちょっとした雑貨が並べられたり、修道院のお菓子が売られたり、小さなバザーのようなにぎわいを見せていた。
かりんが、ジブリコレクション、というピアノの楽譜の本を嬉しそうに抱えたとき、うしろではシスターが、「かんたん!おいしい!」みたいなお菓子のレシピ本を手にもっていて、手持ちのお金がなかった、と返そうとして、お店のおじさんに、いいですよ持っていって!、と言われたところだった。シスターは、ごめんなさいね?じゃあ来週ね?と詫びて、嬉しそうお菓子の本をてさげにしまっていて、修道院でお菓子作って食べるのかなあとわたしは嬉しくなってしまう。
本棚の隅にあった雑貨のかごには、聖家族のミニチュアとか、十字架なんかも入っていて、手に取った小さな小さなロザリオの輪っかは、十字架の裏にFATIMAとかいてあった。
のばらのにおう
ルルドのいわや
ファティマのおかの
にれのはやしに
という歌の歌詞があたまにうかび、ルルドと縁があるのではないかなとおもって、小さなロザリオをいただくことにした。のゆの洗礼名のベルナデッタが、ルルドの聖母をみたおんなのこの名前だからだ。小さな輪っかはのゆにちょうどいいね、とかりんがいった。もちろん念頭にあるのは手術のことで、その日のミサで初めて「ご聖体拝領」というものをするつもりの、洗礼をうけたばかりのわたしには、勝手にそれを記念する気持ちも入っているのだった。
あとで調べたら、ファティマはポルトガルの聖地だった。やはり3人の子どもたちの前に聖母が現れたという場所で、ルルドと似通っているけどまったく別の場所だった。
ルルドのいわや
ファティマのおか
は、繋がった文ではなくて、2つの場所/奇跡 の併記だったようだ。
というわけで、
いま病室ののゆのベッドサイド、ボディソープのボトルには、ルルドもベルナデッタもかんけいない、ファティマのロザリオが、かかっている。