わたしの産んだ、3人めのこどもは、のゆり、という。

21トリソミー、ダウン症を持つ三人目のこども、のゆりとの日々。きょうだいブログ『あおとわたし』(https://aoinotediary.hatenablog.jp/)も始めました。

パレットのこどもたち

入院して翌日が、検査だった。のゆが大きなベッドのまま、手術室の大きなドアに吸い込まれていくのを見送るっていると、小学生くらいの女の子を同じように見送った男女がドアのそばで手を振って、女性が目元を押さえていた。なんとなく不安になりそうになっていたわたしは、彼女から目をそらして、元気よく「家族控え室」に入って行った。

 

「家族控え室」には大きなソファがたくさんあった。大きな窓から目の前のマンションや中庭や溢れる光が見えた。自動販売機と低い本棚があり、そこには気を紛らわすためであろう漫画が何シリーズか置いてあった。病室で待つなら仮眠用の寝椅子で横になるつもりだったわたしは、眠るのにいちばん良さそうなソファを検分する。長い乗り継ぎ時間に空港でいちばんいい場所を探したように。所在ない、長いそういう時間がわたしは割と得意なのだ。

 

心地よさげな、窓の前の白いソファに腰を下ろす。眠るには明るすぎるが、光あふれる窓を背にするその席は、断然、気もちがよい。ひとつ隣を空けたソファにベビーカーを持った男女がいて、何気ない会話が耳についた。横になって義母から借りた柔らかな手触りのストールをかぶると、とても心地が良いのにやはり人の会話が気になって仕方ない。イヤホンを忘れたことに気がついて、病室に忘れ物を取りに行っていいかと看護師さんに聞くことにした。席を外すときは内線で電話することになっていて、見るとそれは手術室の番号だったので、一瞬ひるむ。あっさり許可され、病室でタオルとイヤホンを探し出し、ついでにコンビニで食糧を物色する。淡いカラメル色の焦げ目がかぶさった、小さな焼きプリンをひとつ買う。

 

白い大きなソファにきちんと座って、静かに(わたしは一人なのでまあ静かにしかしようがないが)焼きプリンを開けて、食べた。小さいスプーンでひとさじ、ひとさじ。焼きプリンはこどものころの好物だったけど、食べたのは数年ぶりだ。おかしいな、こんなところで。と思いながら、食べた。

 

iPhoneを操作して、うえのむすめのかりんと観た『リメンバー・ミー』のサントラを流し、イヤホンを耳に押し込んで、ソファにごろんと横になった。日本語のサントラが終わるまでぜんぶ聞いた。ほとんど寝ていないのに眠れなかった。英語版のサントラになると、これがガエル・ガルシアの声なのかーと想像しようとしたけど(わたしはかつてメキシコにいたことがあって、そのせいもあると思うけど彼がとても好きだ)なかなかできなかった。あの『新しい住処』のちゃきが教えてくれた、アカデミー賞の授賞式の動画をあとで検索して見ようと思いながら聴いていると、いつのまにか歌はぜんぶ終わって、何の場面かわからないインストルメンタルが延々と始まり、気づいたら全部、終わっていた。少し眠ったらしかった。

 

起きると胸が気持ち悪かった。お腹も痛いし、さむけがする。厄介なことになったと思い、体を丸める。トイレに立ってみたり、おっとに、具合いが悪いとラインを送ったりして、時間を過ごす。何度目かのトイレに立って、胃液の味のするくちをゆすぎ戻ってくると、窓の下に広がる広場に、赤、青、きいろ、みどりの帽子をかぶった保育園児たちがパアッと散る瞬間で、そのあまりの色の鮮やかさに目を奪われた。パレットの上の絵の具みたい。改めて確認しようとのぞきこむと、保育士がこどもたちをらならべて、写真を撮ろうとしていて、カラフルなこどもたちは二列に並び、石段の上を上がったり降りたり、てんで、まっすぐにならない大縄のように、揺れるのだった。パレットのこどもたちを見ても、わたしの具合は良くならなかった。