わたしが産んだ、3人めのこどもは、のゆり、という。生まれたときから心臓に、小さな欠陥を抱えていたのゆは、ついに検査のために入院した。大きな公園のそばにある、こどもだらけの病院だ。 にはくみっかの、けんさにゅういん。
わたしはキャリーバッグに本と、着替えと、洗面道具と、ポケットWi-Fiを詰めてきた。のゆの絵本と、かえるのにんぎょうと、おもちゃも入れた。療育先でさわった、IKEAのジャンボプラチェーン、というものをのゆはとても気に入って、それを買うためにわざわざIKEAに行ったけどもう売っていなくて、同じようなものをボーネルンドで見つけた、そのプラチェーンも、さいごに入れた(ボーネルンドには、最近欲しいとおもうものはなんでもある!と錯覚する)。
読みかけの『新しい住処』という詩集を持ってきて、ポツポツと天井からのスポットライトで照らされた夜の病院のラウンジテーブルで、夕食を食べながら読んだ。わたしの古い友達が出したその詩集は、白くてすべすべして清潔な手触りの表紙の本で、わたしは吉祥寺の本屋でそれが顔をきちんとこちらに向けて陳列されているのを見てうれしくて写真を撮って友達に送り、買ってきたのに、文字通り育児に追われる家の中でいつそれを開けばいいのかわからなかった。その本を、病院で2回目くらいに開いたのだけど、その清潔な手触りはほとんど病院向けと言ってもいいものだった。カラフルだけど白くて清潔な、病院そのものみたい。
読み出した詩がおもしろくて、わたしは、面白いね、と友達にラインを送る代わりに、詩集の写真を撮ってインスタにあげた。売店で買ったばかりの、小さなピンクの靴下も一緒に撮った。昼間は暑いくらいの病棟が夕方からすうっと冷えて、のゆの足がすこうし、冷たくなったから買ったのだった。それがわたしの、言葉だった。
のゆには肌着も着せていなかったので、帰る前に肌着を着せることにした。点滴のルートをとってぐるぐる巻きにされている右手を、ベビー服の袖から抜いたり、通したりするのは、至難の業で、細いチューブに透明の赤い血液が見えた。もともと見えていたのか、服の脱ぎ着のときにでてきたのかわからなかった。のゆは泣いたけど、痛いのか、目を覚ましたからなのかも、わからなかった。痛むことならすぐにもやめたいけど、痛いのかどうかわたしにはほんとうに、わからないのだ。からだが冷えきるよりはと、集中して、任務を完遂することにした。チューブの中の少しの赤は、はんぶん透き通って、きれいだった、おはじきのなかの赤をすこうし、濃くしたような、ガラスみたいなきれいさだった。
明日の朝は麻酔を使うので明け方までしか水分を取れない。明け方また授乳に来ることにして、わたしはタクシーで家に帰ることにした。家といってもわたしのいつもの住まいではなく、病院に比較的ちかい、わたしのおっとの、実家のことだ。タクシーの窓から、白くてぼんやりとした満月が見えた。今夜はブルームーンだと言っていたのに、まるではっきりしないおぼろな月だった。チューブの中の赤い血液をわたしはおもった。わたしのまぶたのうらにはずっと、一定の量のなみだがあって、病棟をうろついて、入院中のこどもたちを見ても、のゆを遊ばせたり抱いていても、それはなくならないのに、漏れてくることもない。
明け方まで、てんしはぐっすり眠るだろう。わたしはまたタクシーで戻ってきて、だんだん明るくなる病院で、静かに動きまわる看護師さんたちの気配に耳をすますだろう。大きな窓から公園とテニスコートと、桜の木が、どんどん明るみに浮かび上がってくるのが見えるだろう。それまでわたしも、短い眠りを得るために、大きなベッドを目指して、タクシーは走る。