わたしの産んだ、3人めのこどもは、のゆり、という。

21トリソミー、ダウン症を持つ三人目のこども、のゆりとの日々。きょうだいブログ『あおとわたし』(https://aoinotediary.hatenablog.jp/)も始めました。

いとこの風景

わたしには近しいいとこが3人いて、それは亡くなったおばのこどもたちで、年上のおんなのいとこがふたり、年下のおとこのいとこが1人、それぞれがいまでは子どもをもっている。うえからふたりめのれいちゃんのことがわたしはむかしから大好きで、それは憂いを帯びたとびきり美しいかおと、それゆえか妙に大人びた物言いや物腰が、幼いわたしには物語の中のプリンセスよりも特別に見えたからだった。

 

葬儀に参列してくれてありがとう、とれいちゃんからメールがきたとき、わたしはありきたりなお悔やみと、姉がアメリカにいて、父親とほとんどふたりでおばの面倒を見ていた彼女のからだを気遣うことばを返したけれど、そのあと思い出して、梅ジュースのことをかいた。

 

決して近くに住んでいたわけではないけれど、子どもの頃はいとこの家に泊まりに行ったこともあり、その時わたしがよその文化として衝撃を受けたのが、味噌ラーメンにおとすばたーのかたまりと、夏の梅ジュースだった。わたしの母は、洋服やらジャムやらアップルパイやら、いろんなものを作る人だったが、意外なことに梅ジュースはつけていなかった。梅酒はわかいころつけていたようだから、たんじゅんに、そんなに好きではなかったのだろう。

 

とにかく梅ジュースだ。夏休みのいとこの家で飲んだそれはわたしにははじめての味で、とてもとても美味しかった。子どものときの料理ノートには、そのとき教えてもらった梅ジュースの漬け方が、いまも、薄い鉛筆書きでのこっている。

 

結局子ども時代、そのやり方で梅ジュースをつけることはなかったけど、かりんがうまれて物心つくと、毎年梅ジュースや梅酒を漬けるようになった。そのときわたしはこどものころのノートを見なかったけど、そこに書きつけてある薄い文字はいつも、まぶたのうらにある。

 

れいちゃんは、「いろんなことが懐かしいね。

また相談しましょう。」と返事をくれた。相談というのは、彼女のこどもが行きたがっているジブリ美術館に一緒にいく計画のこと。いろんなことが、ということばから、本を開くように拓かれた風景は、いとこの家で飼ってきたいた柴犬、毎年夏祭りに集まった栃木の祖母の家、庭で遊ぶいとこたち、二階の寝室でこわれたギターを鳴らして遊んだ夏の夜と、いつもそこにあった大きなミッキーマウスのぬいぐるみ、そこに入ってきたおばが付けた歌詞がおかしくて、わたしは笑いがとまらなかったこと、みんなでいつも食事に行くお店でクレープにブランデーをかけて火をつけるパフォーマンスがあったこと、こどもは食べられないけど、それ見たさにいつも大人たちにデザートを頼んでもらっていたこと。風景が風景を呼び、連なっていく。

 

れいちゃんの「いろんなこと」は、どんな風景なんだろう。