真夏日の日曜日。おっととあおが散歩に出ようとする瞬間に宿題をおえたかりんは、帽子をかぶって、弟と一緒に外へとびだしていった。わたしも急いで支度をして、保冷バッグに搾乳を入れて、外に出る。タクシーにのった瞬間、わたしのきもちはぜんぶのゆのほうへ流れ出す。今まで、この世の最重要事項みたいにかりんと引き算のひっさんを繰り返していたことが、一瞬のうちに、遠くなる。そのスイッチのきりかわりに、「多情なひとはこどもをたくさん産むと良いらしいよ」と言っていた聖子の言葉を思い出す。聞いたときは、納得した。すきなものは、たくさんほしい。でも一方で、いつも目の前にいる人のことしか、考えられない。からだは一つでこどもが三人。それは時々ちょっとむずかしい。
おっととわたしはその点では、ふたりのきもちをあわせて一つにして使うことになんとか成功している、とおもう。今頃あおとかりんはおっとと真夏の散歩道を汗びっしょりでかけまわったり、遊具にのぼったりしているだろうし、なにもしんぱいすることはないとわたしは知っている。だから安心して、わたしはタクシーのすすむほうへ、きもちを流れるままに、しておくことにする。それでも、毎日わたしが病院からかえるのを待っているかりんをおもうと、今日は早めに、帰ろうかなと、やっぱりちょっとひきさかれる。