わたしの産んだ、3人めのこどもは、のゆり、という。

21トリソミー、ダウン症を持つ三人目のこども、のゆりとの日々。きょうだいブログ『あおとわたし』(https://aoinotediary.hatenablog.jp/)も始めました。

お弔いの午後

わたしのおばである、母の姉が亡くなった。おばの病は徐々に全ての筋肉が動かなくなる、難病といわれるものだったので余命を告げられてはいたけれどそれよりもはるかに早いことだった。

おばの母、つまりわたしの祖母はことし101で、母がおばの家にあれこれの段取りをつけに行く間、ひとりになる祖母といっしょにいるためにわたしはのゆとかりんを連れて、るすばんにいった。久々に涼しい秋晴れのような週末で、かりんは家でするはずだった夏休みの勉強道具をカバンに入れて、ハンバーガーが食べたいというので、駅前のマックでハッピーセットを買った。

 

祖母はいつもと同じく、ひたすらに、お葬式の段取りや、お花のことやら、つまりはみんなでちゃっちゃと決められてしまうであろういろんな実務的なことを心配してばかりいて、お金を取り出して母にちょっと待ってと諌められたり、まだ家を残してある栃木の知り合いへの手紙の何度目かの清書をしたりと、ゆっくり、せわしなくしていたけれど、そのうちうたたねをしてしまう。

 

寝ていたこともまるでなかったかのように目覚めるのもいつものことで、唐突に、かりんに遊び道具が何もなくてかわいそうだと大きな声で話し出す。かりんは持ってきた小さなピースのパズルの2回目に取りかかっていたところで、もう飽きてきていたので、皆でトランプをすることになった。

 

51というゲームと、しちならべを二回やって、さいごに神経衰弱をやった。祖母はなんと、二組も取った。のゆは、ごはん、授乳、ソファでうとうと、抱っこ、授乳、うとうと…のループで、時々びっくりするくらい大きな声で泣いて、祖母を驚かせるのだった。

 

夕方、電車が混むからと祖母が心配するので、まだ母が戻っていなかったけど、祖母を残しわたしたちは家を出た。風の強い明るい夕方だった。おばの病がわかってから、わたしは彼女に一度も会っていない。昔はとても近い人だと思っていたのに、わたしにできることは、あまりにもない。それでも、今日祖母が一人にならずよかった。むすめと祖母とトランプをして過ごした昼下がりを、わたしは、弔いとして、忘れることはないだろう。