のゆが、学校の宿泊行事に出かけた。通常級の子たちは四年生くらいからしか宿泊はないのに、支援級は一年から六年まで合同で出かけると入学前から知ってはいた。こどもの宿泊はわたしの貴重な貴重な自由時間なので、ラッキー、くらいに思っていたが、どうやら支援級の宿泊行事は、六年生で通常級と一緒にでかける修学旅行にむけての着実な訓練である…ということが、説明会の先生たちの言葉の端々からわたしが感じ取ったことだ。
前の週から入念な荷物チェックがあり、適さないものは返却され、入れ直した。向こうでは温泉タオルのようなもので体をあらい、絞って体の水を拭き取ってから脱衣所に行く練習をしますと言われびっくりして、家でも毎日ガーゼで練習した。荷物は全て中の見えるジップロックに分けてつめ、中身と名前をマジックで書く。使うものが上にくるように本人と一緒に大きなリュックに荷造りをする。毎朝毎晩検温をする。そんなこんなを経て、今朝は、小さなリュックに水筒、しおり、健康カードなどを入れて、のゆはいつも通り、スクールバスで出かけたのだった。
私は最近気に入っている散歩というかウォーキングのコースへそのまま歩きに行き、戻ってきた頃、もう学校を出たのかどうか気になり、GPSを入れておけばよかったなと後悔する。向こうで荷物から出してなくしても、と思い、入れなかったのだ。ちいさなのゆが大きなリュックを運んで観光バスに乗り込むのかと思うと、かわいいかわいいという思いがするが、同時になぜかいつもかわいいというよりちいさいのゆ、という言葉が浮かんでしまう。中学の時フランス語の例文で「私の恋人は可愛くて優しい」という例文があり、たしか Mon chéri est mignon et gentil という例文だったのだけど、なぜかいつも、ミニョン は小さい、という気がしてしまうのだ。ミニという英語のイメージかもしれないけど、かわいいと小さいは分かち難く結びついてあることは周知のことで、それがとくにのゆりのばあい、わたしにとって渾然一体となっているようだ。
とにかくわたしのミニョンなのゆりは、バスに乗って行ってしまった。学校の出発式に親が見送りをしに行って良いとは聞いておらず、思ってもいず家にいたら、上級生のお母さんが動画を送ってくれてそのことに気づいて泣いた(泣いてないけど、泣いた、と書きたいくらいの気持ち)。なんてこと。知らせてほしかった。動画の中でのゆは、大きなリュックをうしろ、小さなリュックを前に背負って、介助の先生と同級生の男の子に挟まれて、歩いていた。ピンクのリュックと同じ色のスニーカーで、細ーいみつあみで。わたしがそこにいなかったことを不思議に思っているのだろうか。わたしがいたら手を振って通り過ぎただろうか。考えれば考えるほど、知らなかった、ということが恨めしい。こうして本当にのゆは行ってしまったらしく、わたしは今日一日は、早い時間に帰宅する小学一年生を気にすることなく夕方まで過ごせるのだけど、なんだか調子が狂って、コーラスの練習時間を間違えて行ってしまった。かわいいかわいい、かわいいのゆ。ちいさいのゆ。山の中にいるピンクのリュックとピンクの靴の姿が目に浮かび、ずっとかわいいかわいいと、思っている。