わたしの産んだ、3人めのこどもは、のゆり、という。

21トリソミー、ダウン症を持つ三人目のこども、のゆりとの日々。きょうだいブログ『あおとわたし』(https://aoinotediary.hatenablog.jp/)も始めました。

Vaya con Dios

世田谷美術館奈良原一高展に行った。成城学園駅のバス停に向かっていたら道のどんつきに、絵に描いたような富士山が、それはそれは見事にみえて、どーんと見えて、びっくりする。一瞬、山梨に来たのかと思うほど。しかしよく見ればそれはやはり、もちろん、山梨で見るのとは何倍か小さくて、かきわりじみているのだった。それでも、まっすぐ伸びた道の向こうに富士山がそびえるそのバランスがあまりに見事で、しばらくその道をまっすぐ歩いてみる。車道の真ん中に立てば、富士山がど真ん中にそびえるような写真が撮れるのだけど、歩道を歩く身としては手前の道の建物や電線を残念に思いながら精一杯首を伸ばしてみるだけだった。歩いても歩いても、もちろん富士山は近づかない。後ろ髪惹かれつつ、途中でひきかえす。

 

美術館でお昼を食べる予定がないので、駅前のモスで腹ごしらえ。こまめにノートにつけている、見学した療育のレッスンのまとめとか、困っていることをまとめて書きつけてから、美術館に行くバスに乗った。

 

奈良原一高氏が亡くなったというニュースが流れたばかりだった。故人となった奈良原一高とスペインが、会場のなかには響き渡りあっていて、奈良原一高の他のどんな仕事も、わたしはするすると、わすれてしまう。誰もが魅了されるであろうアンダルシアの白壁と照りつける太陽がつくる影の陰影に、密集する家家のたたずまいに、荒れた道に、そこに住み、歩く、人に、ロバに、こどもに、目も心も奪われてふらふらと、会場を歩き回る。自分の中のメキシコと、かつて訪れたスペインと、スペイン語のさまざまな響きと太陽の光がいっしょくたになって頭の中で暴れまわってしまうから、幸せで幸せで、苦しいのだった。

 

Vaya con Dios.

章立てにこの言葉を見つけたとき、ものすごく彼方から、よく知っていたものに手を伸ばされたような気がした。神と共にお行きなさい、と祈りを込めた別れのことば。別れることはすなわち、相手が神と共にあることを知ることだった時代のことば。その強さにハッとする。信仰心とはちょっと違う。別れの一つ一つに、相手の後ろにある神をみることができる日々の刻み方を、そこに見た。そしてこの旅の後奈良氏が二度とスペインの地を踏むことがなかったことを知り、胸の中にいつもメキシコを抱きしめているわたしは、深い共鳴を送るのだった。