わたしの産んだ、3人めのこどもは、のゆり、という。

21トリソミー、ダウン症を持つ三人目のこども、のゆりとの日々。きょうだいブログ『あおとわたし』(https://aoinotediary.hatenablog.jp/)も始めました。

ゆらいだ瞳

きょうはのゆが5時間授業で下校が遅かったので、スクールバスの降り場でわたしが待ち構え、そのまま療育に行った。木曜日はU先生の個別療育で、年長の時から少しづつ、文字や数字や数の概念などを教えてもらっている。文字への興味は小さいときに一瞬出た後に消えたかに見え、療育先の先生が自信満々で薦める教材やメソッドを使ってもあまり入っていく様子がなかったけど、U先生の授業は初回からのゆはとてもノリノリで、大好きなのでなるべく休むことのないように優先して通っている。

 

母子分離なのでわたしは下の階の休憩スペースでつかの間の一人の時間、そこにある『3月のライオン』をあるだけ読んでしまったところだ。そろそろ終わる時間だと思い上に上がると廊下のトイレの前にU先生が立っていた。「あ、トイレ?」としぐさで聞くと、「そうなの」と言った先生はどことなくアンニュイな様子でこちらに来て(もともとそういう表情の先生ではあるのだが)、「今日、ランドセルあけて色々見せてくれたからちょっと連絡帳見ちゃったんだけど…おむつにしてほしいみたいなこと書いてあって…。」という。「わたしもうなんかいやになっちゃって、トイレの練習してたの。」と、言うのだった。その時の先生の瞳はなんだかうるんだようにゆらいでいて、ああ、この「いやになっちゃって」はすごく傷ついたときに女の人がつかうやつだ、と、身に覚えありまくりで、そのゆらぎに、おむつのこと以上にわたしは、気を取られてしまう。

 

とはいえ毎日おもらししまくってるわけでもないのにおむつにしろと言われたらそれは困る、そのままトイレトレーニング完成の道が潰えてしまうと慌てて連絡帳を見たら、わたしが遠足の日は親は予定を開けておかなくて大丈夫か、と聞いたことへの、「お母さんが待機する必要はありません。着替えだけが心配なので相談させてください」と言うお返事の、その続きなのだった、曰く、遠足や運動会など行事の時だけは手が足りないのでおむつにしてもらうことは可能だろうか、どう思いますかという内容だった。ホッとして、先生に、「行事の時ってことですね。遠足にわたしが予定あけておかなくていいか、問い合わせしたときに着替えのことだけ困ると言っていたから」と説明したら、「ああ、行事の時か…」と少しだけ納得したものの、先生は、「なんかねえ、人手が足りないとか書いてあって。こんな書き方するかしらと思って~」と、まだまだ、気持ちが揺れた様子でいる。「授業中にトイレに行きたいって言っていいんだよ、行きたくなったら、ハイって手を挙げて言うんだよってよく説明したんですよ。そしたらハイ、って言って、今行ったの。」と。勉強をきりあげてトイレの申告の練習をしたくらい、先生は、衝撃を受けたのだ。「トイレくらいできるのに。自分でなかなか言えないだけよ」と、そう言葉にはしないけど、先生は思っている。そして、この子たちのゆっくりな変化を待ってくれない学校の先生に、怒っている。

 

わたしのほうは、一瞬頭をよぎったおむつで毎日登校という悪夢は免れたことでかなりホッとしてしまったけど、それでも、U先生のゆらいだ瞳は、先生がのゆりが受ける扱い方で自身が削られるように痛んだり、怒ったりするのだということを伝えていて、帰り道にもなんだかそのゆらぎがわたしのなかで、反響してやまなかった。

 

とりあえずは遠足は承諾しようかと思うが、運動会はわたしがなるべく近くにいてトイレのサポートをしますと言い張ってみようかなと思っている。失敗したら着替えさせるし、タイミングを見てなんとかトイレに連れていくこともする。そうしたらおそらく、何も困ったことは起きないような気がする。U先生がわたしの前に傷つき怒ってくれたのだから。わたしは、のゆにできることを、するのだ。