わたしの産んだ、3人めのこどもは、のゆり、という。

21トリソミー、ダウン症を持つ三人目のこども、のゆりとの日々。きょうだいブログ『あおとわたし』(https://aoinotediary.hatenablog.jp/)も始めました。

あの日みた風景

五月晴れ、ということばが浮かぶ青空だ。そうおもうたびに目に浮かぶ風景があって、それはかりんが洗礼を受けた碑文谷の教会の、ほんとうにルルドの岩場を再現したようなゴツゴツした岩の窪みに佇む聖母像かとおもったら、どうも違う。緑の向こうにやっと見える、でも一度見えたら次からは必ず目に入ってしまう、ひっそりとしたそれである。何だろうとおもったら、それは、のゆが入院したとき、廊下の端のソファスペースの大きなガラス窓から見えた聖母像なのだった。

 

その窓からは目の前に学校の敷地のようなものが見下ろせて、緑のネットの向こうに植え込みが繁り、その中にひっそりと、白い聖母像が立っていることに気がついたのは、病院で過ごして2日目のことだった。

 

1日目、点滴のルートを取るという作業が終わるととくにされることもなく、時間をもてあましたわたしがのゆを抱いて病棟を散歩していた時も、そのスペースで外を眺めたのけれど、そのときはまったく気がつかなかった。そのときは、小さな男の子と女の子が、ぷりきゅあショーやら、ダンスやらを繰り広げてくれ、まちがいなく、わたしとのゆを観客に見立てていたのでわたしたちは最後までそれを鑑賞して、笑ったり感嘆したりしてしばらく過ごした。男の子はおとうさんの中折れ帽をかぶって、ムーンウォーク、激しいターンやステップを組み合わせた複雑なダンスをすごいスピードで踊り、すごいね!とわたしが言うと、「マイケル・ジャクソン!おかあさんに見してもらった!」と踊りながら説明してくれた。「さいしょはテレビででててー、ムーンウォーク練習しはじめたら、おかあさんが、これ好きかもって言って、動画で見してくれた!」という。女の子は、点滴をつけたまま、帽子をとりにいったり、廊下を行き来するたび、付き添いのおかあさんが、ガラガラと点滴のポールを押して歩いているのだけど、負けずに激しいダンスのはいった、ぷりきゅあショーを見せてくれた。ソファにはわたしたちのほかに、ほっそりした静かな女の人と、その人にもたれかかるように大人しく座る、カーリーヘアの女の子がいて、そのこも、のゆも、まがおで、彼らの動きを見つめていた。

 

そのときは気がつかなかったのに、マリア像は翌日まるで突然現れたように目に入った。生い茂る緑の中に、そして濃い緑のネットの向こうに。不思議だった。小さな、白い、硬質な佇まいの聖母像に見えた。

 

退院許可が出た3日目のあさ、なかなか会計票がこないのでまたもや時間をもてあまし、もう一度その場所へ行ってみた。前よりも緑が濃く、知らなければ見つからないように、その像はあった。その左手にはグラウンドがあって、こどもたちがカラフルな体操服で、何かのスティックを持って走りまわっていた。ラクロスかもしれない。小学生くらいのこどもたちがラクロスをやるのかなあと、感心して、戻っておっとにその話をしていたら、退院の手続きができたと看護師さんが伝えに来た。そのまま、荷物をもって、会計の機械に立ち寄って、退院だった。

 

五月は聖母マリアの月だったとおもう。だからおもいだすのだとおもう。五月晴れ、とおもうたび、夏ではなく、初夏めいてはいるけれど確実にまだ春のこの青空を見るたびに、今年は、あの緑に隠れるように佇む聖母像が、目に浮かぶだろう。