わたしの産んだ、3人めのこどもは、のゆり、という。

21トリソミー、ダウン症を持つ三人目のこども、のゆりとの日々。きょうだいブログ『あおとわたし』(https://aoinotediary.hatenablog.jp/)も始めました。

海のまちののゆ

海の近くに住んでいる友達を訪ねたので、今もまだ頭の中が、広々している。昨日の海は静かで、水色と灰色の間のような、湖のような海で、暗い鰯雲とキラキラした薄い風のような雲が一つの空を分かち合っていた。あの辺りに住んでいたら体がずいぶんのびのびするのではないかと、今日のゆを療育に送りながらふと思う。今通っている療育に行けなくなると困るけど、そこにはそこで色々と習い事はあるだろうし。でもその一つ一つの移動は車がないと厳しいかもしれないと思う、道と空間の広さではあった。学校に行って、放課後遊べる場所で遊んだり、習い事に行ったりして、海を散歩して、きっと、和風建築の外側に金色の天使がいる教会に通って、教会学校に行って、松の木がうっそうとするかつて地主の家族のお屋敷があったという公園で遊んだりする、そんな景色もまた、見えるような気もする。そののゆは海のまちののゆで、この東京の外れの、都市だけど公園という森が多いまちで暮らすのゆとは別のひとで、わたしは海の町ののゆにも、会ってみたいと思うのだった。

 

今朝立ち寄ったこちらのまちの公園には、海に流れ込む川と同じ、オオバンという黒い渡り鳥がいた。

絵を描くのゆ

 のゆとあおが今のこどものアトリエに通うようになって、半年以上経った。金曜の夕方、それはわたしの一週間の中の癒しの時間である。もともと療育先のアートのクラスに通っていたけれどそれは月に一回だけで、それなりに距離もあり、連れていく負担もあり、こういう、習い事でもできることは徐々に地元の習い事にシフトしていきたいなとおもっていた矢先にママ友が知り合ったのがアトリエの先生のお母様だった。先生の展示のDMをもらい、アトリエを知り、体験に行き、すぐに入会した。こじんまりした部屋の中にはたくさんの画材や材料があり、こどもたちはそこで自由に好きなことができた。描いたり、書いたり、作ったり、くっつけたり、壊したり、貼ったり、塗ったり、こねたり、縫ったり。先生のほかに、ご自身の教室で長年自閉症のある人たちにアートを教えているという、のゆにはうってつけのUさんという方がアトリエにはいて、わたしは勝手に運命を感じたのだった。

 のゆはあまりにダイナミックに絵の具をばしゃーん!とやるので、先生の提案でロールの障子紙を購入することになった。それが毎回床に貼られ、周りの壁はより一層ビニールでコーティングされ、のゆスペースとしてわたしたちを待ち構える。のゆはしばらくするとわたしの存在を忘れ、存分に色遊びを楽しむようになった。ビー玉をころがしたり、色を混ぜるのに使うボウルをふせて模様にしたり、自分の手足のふちどってもらったり、夏は氷を滑らせたこともある。合間合間にいろんな遊びをしながらひとしきり絵の具だらけになって、巨大な絵が完成する。「もういい」とあっさりのゆが宣言するので、いつも終わりは見えやすい。

 

 そんな初期の作品の一部を、先生がこどもたちの作品展のDMにつかってくれて、とてもすてきなポストカードに仕上がった。隅に小さくクレジットまでいれていただき、完全にデザインの仕事とおもいつつもわたしはほんとうにうれしくて、記念に、友達に配ったりしている。もしも、もしもずっとのゆが絵を描くことが好きなら、おとなになってもそういう場所を探してもいいし、こういう抽象画なら本の装丁なんかにもいいんじゃないかしら?なんて夢は広がる。ほんのひとときの没入かもしれないと知っているだけに、その想像は儚く甘い。

 

のゆは小さい時から描くのは好きでも、具体物をほとんど描かなかった。2歳くらいの頃、ダウン症のあるお友だちがニコちゃんマークを描いているのをみて衝撃を受け、急にそのことが気になりだした。絵の進化は認知の進みの表れなのではないか、待っていても描かないなら教えたほうがいいのだろうかと。聞けばその子には、父親がお風呂の鏡でニコちゃんマークを教えたのがきっかけらしい。5歳の時、「きのう〇〇ちゃんに会ったから、夜、眼鏡をかけている女の子の絵を描いておともだちーと言っていたんだ~」という、別のお友だちの様子を聞いて、驚き、ますますその疑念は深まった。そのあいだものゆは、わたしが抽象と呼ぶ、色や線だけの絵と、文字をまねた小さな鉛筆書きを繰り返していたし、たまに「バナナ!」と言ってほそながい黄色い形を描いたら、「のゆが具体的な絵を描いた!」とわたしが写真を撮っていたくらい、まだまだ珍しいことだったのだから。でも、そう思いながらも、わたしは描き方を教えなかった。<ダウン症のある子はほっとけば育つ、ということはない。教えないとできないよ、教えたらできる。何倍時間がかかっても。>それが療育先の所長の口癖だというのに、この件に関してはわたしは、のゆの絵が自然にどう変わるのか見てみたいという誘惑に勝てないのだった。

 

 DMをみせると友人たちは「すごいねえ」と言ってくれる。でも、たぶん2,3歳の子に同じ環境を与えたら多くの子どもはこういうことをするだろうし、こういう作品が生まれるだろう。のゆはある種の発達検査では3歳なのだから、そういう意味では何ら不思議はない。でも、のゆはある面では3歳ではない。感情や認知はもっと成熟している部分もある、そののゆがこれを描いているから面白いのかな、とおもう。

 だんだんいろんなものが描けるようになると、こどもたちは色遊びのような絵から離れていく。幼稚園の制作やお絵かきでも、学校の図工のなかでも、じぶんのスケッチブックでも。のゆがこのあと成長していったとき、その絵には何か具体的なものが生まれてくるのか、それともこのまま抽象の世界で遊び続けることもできるのか。わたしはそれにとても興味があるのだ。いや、そう思っていた、つい、昨日までは。でもきょう、それを少し変えることが起きた。療育の後のお絵かきタイムで、思い切り赤いクレヨンをぐるぐると動かした後に、のゆは、「さかな、さかな」といいながら黄色い形を描き出した。数日前からうちには金魚がいる。黄色と赤のコメットという、わりとほっそりした、魚らしいかたちの金魚が4匹。魚を目で追うことは眼球運動にも良いという下心もあったものの期待したほどのゆは見ていないな、と思っていた金魚だった。のゆは金魚という単語を覚えていない。金魚も熱帯魚もみんな魚。だから、さかな、さかなと言いながら描いているのをみて、それはうちの金魚なんじゃないか、とわたしはおもったのだ。かといって誰が見ても金魚だね、という精度でそれは描かれているわけでもなく、なんだか、抽象だ具体だという区別をつけていたことが、意味のないように思えてきた。それはさかなだし、金魚だし、コメットだし、黄色だし、楕円だった。その絵は、のゆの「さかな、さかな」ということばとセットで、一つの絵だった。絵にタイトルをつけるとか、タイトルがあるとか、今まで思っていたけど、ことばも含めて作品だったんだとわたしは知った。

 

 のゆが今まで描いた、名前のある形は、雨、バナナ、桃、鳥、そしてさかな。「雨を描いた」、とわたしは考えたが、雨を描いていたのか、雨という絵を描いていたのか。「桃食べないのに桃描いてる」、とわたしは思っていたけど、桃を描いているのか、桃という絵を描いているのか。雨、雨、と描くように、喜びや悲しみとか、春とか秋とか、はっきり見えないものも、彼女には描くことができるのかもしれない。抽象って思っていたものは、具体だったんだなあ、と今、わたしはおもっている。

 

踊るのゆり

 2歳ごろだったと思う、療育先のクリスマス会でみんなで「パプリカ」を踊ることになった。といっても舞台ではなく、広いフロアに出てみんなで踊るというものだ。家では録画したパプリカの動画を何回もかけてまいにち踊った。あおがいっしょに踊ってくれて、パプリカをかければ機嫌が直るほどのゆも気に入っていた。当日は、緊張したのかほとんど踊らなかった。でもすごく固まってる、というわけではなくて、なんとなく所在投げにしているうちに終わったのだった。

 その時はまだ踊っていた、というのがわたしの感覚だ。そのあとのゆは、ひとがいるところでは絶対に踊らないし体操もしない時期にはいった。療育先のはじまりの会で名前を(いわゆる出席をとるかたちで)呼ばれても、返事をして手を挙げるということを絶対にしなくなった。人に見られていること、注目されること、その状態でなにかをすることは全部拒否。人に見られている、というつよい意識、そしておそらく、間違いたくない、という強すぎる思い。リトミックに行っても音楽療法に行っても、決してなにもしなかった。踊ることはおろか、準備体操も、みんなで輪になって歩くことも、名前を呼ばれて返事代わりにタンバリンをたたきに行くことも。なので、いつもわたしが抱っこして音楽に合わせて踊ったりゆらしたり、あるいたりしていた。だんだんそれも大変になり、音楽療法のクラスは途中で断念した。その状態はほとんど4年間続いた。

 そんなのゆにこの夏、大きな変化があった。地元のお寺の盆踊りでのこと。まったく期待していなかったのに、とつぜんのゆが踊り始めたのだ。しかも、同じくらいの背丈の(おそらく1,2歳年下の)知らない女の子たちの集団に交じって、まるでその一員かのように。まわりの振りをみて、真似をしながら、何周も何周も。「東京音頭」をおどる女の子たちの兵児帯の、どれがだれのだかわからいような、ひしめきあうひらひら。夢のようでわたしはのゆが「もういい」と言うまで、一緒に踊った。これは快挙だった。まあ盆踊りはみんな前を向いて輪になっているし、ひとのことは見ていないので気楽なのかもしれない、とも思ったが、他人がいる中で踊ったことには変わりない。もしかして今年の運動会は…という期待も、胸をよぎった。1学期の間にのゆは、集団療育にきちんと参加できるようになり、順番にみんなの前で先生の所に課題を取りに行く、というようなこともできるようになり、自己紹介はできなくても前に立つことはできるようにもなり、「おうまの親子」にあわせて四つ這いでぐるぐるまわる、というアクティビティには参加するようになったものの(それですら大進歩)、そこでの体操やダンスはまだしなかった。家では完璧に踊るものも、外では決してやらなかった。それでも、そのころ療育先のグループでは、毎年幼稚園の運動会でも踊る「はとぽっぽ体操」を踊っていたので、家でも何度も曲をかけて踊っていた程度に、わたしは、今年で最後の運動会にひそかに思い入れを持っていたのだ。盆踊り後、リトミックで準備体操ができた、とか、親の会の活動で参加したフラダンスで少し踊ることができた、とか、わたしにとっての「おどるのゆ快進撃」は続いていた。夏休みが明けて運動会の練習が始まると、練習では踊っている様子はなかった。ダンスの間はふらふらしてるかな、というのが先生のコメントだった。

 そして運動会。のゆは踊った。音楽が始まって最初の数秒、座り込んで手首につけた飾りも外してしまったが、よく覚えている振付になってふと体が動き、そして隣の子を見てハッとしたように、手首の飾りをつけなおし、取れてしまった帽子をかぶりなおそうと手を動かしながら、踊り始めた。それはほんとうに目を疑うような、でも疑っていたことが嘘のように思えるほど自然でもある光景だった。それでいて、最初から完璧に踊りとおした以上に、わたしは感動した。隣の子を見て、今何をすべきかを理解し、それをしたいとおもって、することができたから。その心の動きがてにとるようにわかり、そこに、いつもなら邪魔になる「人が見ている」という意識が入り込まず、邪魔されず、やりたいことを、できたのがわかったから。今までのゆを邪魔していた分厚い壁が、ふと消えていった瞬間を見たような気がした。みんなの前だけどがんばった、ではなく、みんなの前という、いつも彼女をがんじがらめにしていた壁を忘れることができたように見えた。

 こうなったらほかの場面でも変化が?と期待すると、療育先ではやはりダンスも体操もしなかった。でも家でフラダンスの練習をするようなり、月末にちょっとした発表の機会があるけどもしかしたら踊ってくれるのではないかと期できるようにもなってきた。そして先日、お芋ほりの遠足のお迎えに行くと、早く支度を終えた子どもたちが、畑の隅で、先生が流す音楽に合わせて、体操や手遊びやダンスをしていた。そして、のゆも、踊っていた。のびのびと、たのしそうに、まるでいままでみんなと一緒に動いたことがないなんてことが嘘であるかのように。ああ、じゆうになったんだな。とわたしはおもった。見られていることに意識がむいてがちがちだったとき、間違いたくないという意識でがんじがらめだったとき、のゆはとても不自由そうだった。分厚い壁がそこにはあって、のゆはその隙間からみんなのことを見て、家で完璧に再現しては、幼稚園ごっこをしたり、踊ったりしていた。おなじようにしたいのに。やってみて、できるようなったり、しっぱいしたり、やり直したりしながら、学んでいけるのに。そうして学ぶことから、彼女は阻害されていた。

 いまやっと、のゆは、そこから自由になって、みんなのなかで学べる状態になったようにおもう。その変化が学校という場に出向く前に起きたことが、本当にうれしい。

学んでほしい内容を教えることだけが教えることではない。学べる状態にすることがわたしにできる最大のサポートで、それが療育というものなのかなあ、と、いまは思っている。

できること できないこと

のゆが就学相談で、発達検査をうけた。3歳程度という数値が出ると聞いていたけど2歳10ヶ月という数値だった。「同年代の子どもに比べると…」という表記に、唖然とする。そんなふうには、もう何年も考えていなかったから。

たしかに、できないことは、たくさんある。

でも、無理やりできることだけ見てみたい。そしたらどんなふうに、みえるのかな。ちいさなのゆ。おしゃまなのゆ。おしゃべりなのゆ。警戒心のつよいのゆ。失敗したくないのゆ、でも、遊びたいしふざけたいのゆ。いろんなことをやりたいのゆ。お兄ちゃんがだいすきなのゆ。甘えんぼののゆ。でも、なんでも自分でやりたいのゆ。来年がっこうにいくのゆ。あなたの輪郭をどんなふうにわたしは描きなおすことができるかな。

おうちにかえる

吉祥寺美術館で少し前、ペンギン街に出る、というようなタイトルで、Suicaのペンギンの展示をやっていた。近くに行ったのでのゆと、あおと、わたしと夫の4人で入った。入り口には大きなパネルで展示のタイトルの絵が飾られていて、ペンギンたちがたくさん横断歩道にこちらをむいて立っている。大きいペンギン、小さいペンギン、赤ちゃんペンギン。のゆは隣に立って一緒に横断歩道の前に立つ格好で、手を挙げている。横断歩道を一緒に渡りそうな雰囲気が可愛くて写真を撮ると、「おうちに帰るって!」と、いう。「ペンギンさん?」と聞くと、「そう!おうちに、かえるって!みんな」と言う。そうか。横断歩道のその先は家路なんだな。絵の先が見えてるんだ。そして、どこかにいくその先がためらいなく「おうち」であるということは、家族としてしあわせなことだなと、思ったのだった。いまののゆの口癖は、「がっこういく、ひとりでいく」だけどね。

 

ふいに泣く

木曜日、のゆの就学のためのいろいろの一環で、集団考査というものがあった。体育館に就学相談を受けているこどもたちがあつめられ、たくさんの判定員がいるところでなにやら集団活動をするという。話には聞いていたが、前は、「そんなの絶対、のゆは何もしないでしょ。」とおもっていた。のゆはこどもの集団に入ることにハードルがあるから。そこで何もできないと、幼稚園に見に来るらしいともきいていて、「きっと教育委員会がきます」と幼稚園の先生にも伝えていたほどだった。

 

とはいえ、最近さかんに「がっこうする!」「がっこういく!」と言っては、リュックにいろんなものを詰めてしょったり、勉強的なものをやりたがったりしていたのゆ。その日の朝は「ひとりでいく」がブームで、なんどもわたしに、「がっこういくの。ひとりでいく。」と念を押してきて、「(ひ)といでいく」という発音なので「え?トイレにいくの?」とわたしが何度も聞き間違えていたら、ついに一本指をたてて「ひとりで」と示しながら、「ひとりでいく。ママいいからね、ひとりでいくの」と言うようになった。その日は、午前は療育に行き、近くのめちゃめちゃ居心地の良いカフェ(しょうがい者施設が運営していてしょうがいのあるひとが働いている)でランチを食べ、電車で地元の駅に戻り、駅前に止めておいた自転車で酷暑のなか指定された中学校の体育館に移動するというハードスケジュールで、まあこれはおそらく集団考査に重きを置くなら朝療育は行くべきではなかったんだろうなー、とおもいつつわたしが自転車をこいでいると、のゆが、「がっこう?がっこういく?」とまた、きいてくる。「きょうはがっこうの練習にいくよ」と、朝から伝えてあったので、「そうだよー、今日は練習ね!がっこうの練習にいくよ」と答えると、また、「ひとりでいく!」と、言い出した。

 

 実は希望している支援級は隣の学区にある。歩いたらおとなの足で10分ほど、けっして歩けない距離ではないが、のゆの足ではまだまだきつい。学区を超えているのでバスに乗ることもできるけど、ここは最初にバスに乗せてしまうともう歩かないのではないか。ここはふんばって歩いて通学につきそって、歩かせるほうがいいのではないか、そうこうしているうちに歩ききれるようになるのかもしれない、しかしそれを毎朝やるのはどれだけ大変だろうか…というようなことをずっと考えていたのだけど、そのときぱっ、と、のゆは1人でがっこうにいきたいのだ、と、突然、おもった。そして、スクールバスに乗せれば、「ひとりで」登校することになるのだ、と。だとしたら。もしかしたらまずは「ひとりで」登校できるということを優先して、バスに乗せてもいいのかもしれない。学年が上がったら、「もう~年生だからバスにはのらないよ」といって歩かせればいいかもしれない。そんな考えが、とつぜん、そんなことがなぜ今までわからなかったのか、とおもうほど明確に、わたしのなかに、ぽん、と生まれた。そして、「のゆはひとりで学校に行く」という事実が突然現実味をおびたとき、おどろいたことにふいに、涙ぐんでしまったのだった。のゆは自転車の前の座席で高らかに「がっこういく、ひとりでいく」と謳いつづけ、わたしはこっそり、泣いていた。

 

のゆはそのまま、到着の数分前に突然寝てしまったが、自転車から降ろすとぐずることもなく、「がっこ?」と、やる気に満ちて、いた。大きな階段をみあげて「かいだん?」ときき、一生懸命のぼり、玄関で上履きを自分ではいた。控え室で、あらかじめ言われていたのでさんざん写真を見せたりしておいたビブスを着用するのも、じぶんでやって、あまりに小柄なので「椅子のたかさチェックしてね」と受付の人が係の人に伝えたほどだったけれど椅子の高さもぴったりで、とても満足そうだった。親が教室から出ていくときになっても、「がっこうだからね!ママはあっちで待ってるよ」というとすんなりと了解し、唯一、ランドセルのように思っていたらしい新しいリュックを持っていかれてしまう(水筒とタオル以外は親が預かるようにと言われていた)ことには少し抵抗しつつ、最終的には手を放して、わたしにも手を振ったのだった。

 

実際集団考査でなにかできたのかどうかはわからないが、こどもの集団にフリーズしてなにもしない、というようすではなかった。いつのまにか、こどもがたくさんいて、自分は自分の席に座って、ということが、できるように、なっていた。そして、「がっこういった。またいく、またきてね、っていった」というようなことを盛んに言って、たいそう、ご機嫌に帰ったのだった。こんな具合でたのしく「がっこうの練習」はおわった。来週はさらなる難関、知能検査(発達検査)だ。IQというやつだ。でもまあなんにしても、わたしはのゆを希望する学校に入れたいと思っているし、入れられると思っている。のゆは1人で学校へいくんだ。それはもう、止められない季節のように、遠くにはっきりと、見えてきている。

 

あす、わたしのむすめは旅に出る。

なつやすみ。毎朝のゆにマッサージしたり、関節をひねるとかバランスをとるとか、いろんな動きや働きかけをすることを目指している今、最後はのゆを抱っこしてくるくるまわったり、体をゆらしたりしている。そのたびにもう5歳なのに,軽くて小さくて、ずるいくらいというか、華奢な柔らかいからだがとてつもなく繊細で、大切で、すごいなあとおもう。奇跡みたいなものが腕の中にある、そんなかんじ。いつまでこんなふうに抱っこしてぶんぶんまわれるのか、と、おもいながら。

さて、あす、なんとそんなのゆが幼稚園のキャンプに行く。みんなと大型バスに乗り、大きな登山リュックに一泊の荷物をつめ、みんなと同じスタートで山へ向かって歩くという。山頂までは到底むりとしても、今回の山は往復同じ道なので、途中で止まっていても降りてくるみんなと合流できる、とちゅうに広い公園もあるし、山を登れた場合、とちゅうとちゅうに、ここまでこれたらいいな、とおもっている見晴らしの良いポイントがいくつもあると先生は言う。どうなることかわからないけど、またとない機会なので行かせることにした。荷造りは一緒にしてくださいと言われているけど、とりあえずいちどすべての必要なものを用意してそれぞれチャック付きのビニール袋にいれ、袋になまえや内容を書き、そろえておき、いよいよ前日の今日、もういちどそれを、詰めるところからのゆとやりなおした。予想以上にのりのりで、くつや水着や着替えや歯ブラシを、自分が入りそうな大きなリュックに詰めていく。あした、ようちえんのみんなとでかけるんだよ。と話すと、「いやー」とか、「よーちえん?」などと言っている。できあがったリュックはおおきすぎて、記念に写真を撮ることは撮ったがきっと歩けないが、中身を減らして軽くしたら背負えそう。登山用には、あおの小さめのリュックを借りてあるので荷物の入れ替えは先生がすることになっている。

 

みんなでバスに乗って遠くに行くのも初めてだし、幼稚園以外でのお泊りも初めて。よく理解していないのに送り出すというところが、上の子たちと異なるところ。どうなるのか、のゆの、はじめての旅。